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天変地異の予兆を感じる人が増えている
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巨大地震の前兆エアロゾル雲が出現しているのか?
神州 一
ネットを検索すると、地震の前兆現象をキャッチしようというサイトが多数存在する。
この秋「これは地震雲ではないか」と、毎日のように多数の写真がUPされている。FM波のノイズを観測している某サイトでは、8月下旬から過去最悪のノイズが観測されていると「大地震警報」が出ている位だ。
秋空に鱗雲ならぬ、エアロゾル雲が全国各地に出現しているのである。エアロゾル雲は、巨大地震の前兆現象=宏観異常現象の一つではないかと言われ、一般的には筋雲やレンズ雲などが挙げらる。
阪神淡路大震災の直前に、明石市の写真家・杉江輝美氏が撮影した渦巻き状の雲は、巨大地震の前兆を示す「地震雲」だったのではないかと言われている。この渦巻き状の雲だけでなく、阪神淡路大震災の直前には、多くの人々がさまざまな異常現象を目撃していた。岡山理大の弘原海清教授(当時)は、それらの「前兆証言」を大きくは、@空と大気など自然環境に見る異常、A動植物の異常と分類し、『前兆証言1519!』、『大地震の前兆現象』(河出夢新書)を出版した。
弘原氏は、空と大気の異常の具体例として地震雲、月や空の色や状態、発光・稲妻、異常な朝焼け夕焼け、虹などを挙げる。それらの現象が現れる根拠は、以下のメカニズムによると言うのだ。
地震発生前に地下深くで岩盤破壊が始まる。花崗岩に含まれている石英に、強い一定方向の力を加えると電気が発生する(ピエゾ電気)。岩盤に力が加わることによって強い電気が発生するのだ。この電流が、地中で静電気を帯びた微粒子(帯電エアロゾル)を生み出し、大気中に放出される。
阪神大震災直前には、この帯電エアロゾルの濃度が異常に高まったことが実際に観測されている。 ただし、こうした地震予知を批判する意見も当然ある。ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、次のようにある。
「宏観異常現象とされる主張の中には、科学の版図に組み込まれてはいないものの、その周辺分野(周辺科学や未科学などと呼ばれる領域)として実際に研究が行われているものも存在する。
未科学(プロトサイエンス)と、擬似科学やオカルトまがいの『研究』の違いを、それらの知見を持たない者が区別することは一般的に困難であるため、そこに付け込んだ様々な主張や活動が営利・非営利を問わず実際に多く行われている点は、憂慮してなお余りある」
地震学などよりもはるかに学問として確立され、より多くの情報を分析することができる気象学においてすら、翌日の天気予報すら外れるのが日常茶飯事である。ましてや未知の領域がほとんどだと言っていい地震予知など至難のワザというのが正解だろう。
しかしこの世相、宏観異常現象を血眼で探し回って一喜一憂する人が出るのも致し方ないことだ。「地震の巣」である日本列島に住み続ける以上、いつ巨大地震に襲われてもおかしくないことだけは確かなのだから。
(フリーライター)
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『TSUNAMI』(高嶋哲夫著)に描かれる地震の図
東海地震がおきたらどうなるの?
風間紀之
東海地震がおきたらどうなるのだろうか? また、東海・東南海・南海地震が同時に起きたらどうなるのだろうか? さまざまなニュースやCMで地震保険のことや地震対策のことが言われている。しかし私にはピンと来なかった。日ごろ24時間のコンビニやスーパーに慣れすぎていると、「備える」という感覚が薄らいでしまう。いつでも欲しいときに欲しいものが手に入る環境は、地震や台風などの「災害」が自分の身近にあることを忘れさせてしまう。
05年の12月に出版された『TSUNAMI』高嶋哲夫著(集英社)は、阪神・淡路大震災を経験した著者が、2004年のスマトラ沖地震によるインド洋大津波や新潟中越地震の調査を元に、東海・東南海・南海地震の同時発生を想定した小説だ。
「今の日本政府の地震対策で、3つの地震が同時に起きたらどうなるか?」。実際に起こりうる困難が描かれていて、ページを読み進めるごとに寒気を感じてしまう。同著者には関東直下型地震を書いた『M8』もあるが、『TSUNAMI』は『M8』の続編でもある。
本当の東海地震がわからない
東海地震の影響で心配になるのは原発だ。しかしたとえ原発が耐えられたとしても、社会が耐えられなければどうしようもない。東海・東南海・南海地震は地震予知が可能な海溝型巨大地震といわれる。それが実際に起きた場合、どれが本当の大地震かわからなくなってしまうということが本書には書かれている。
時期は8月、気温35℃、海溝のプレスリップが観測され、気象庁から東海地震の「警戒宣言」が発令される。原発は速やかに止められた。大地震に備えるということは、予知が出され警戒宣言が出ると、後はただ「じっと待つ」ことでもある。静岡の町はまるでゴーストタウンのように静まり返り、人々は地震が来るのをじっと待った。静かだからこそ、ジリジリと照りつける太陽がなおさら暑く感じられた。
人間とは勝手なもので、来る前は「いつ来るのか」とハラハラしている。しかし一旦構えてしまうと、「来るなら早く来い!」とイライラしてしまうのだ。そのうち「ほんとに地震は来るのか? こなかったら誰が責任を取るんだ?」と、マスコミを中心に政府への批判が始まった。結局社会は「じっと待つ」ことに3日と耐えられないのだ。
そして地震がおきる。「東海大地震」はマグニチュード6・8、震度5、津波は30センチであった。多くの税金をつぎ込み「地球シミュレータ」を使って予知した地震は震度5だったのだ。それでも警戒宣言を出した総理大臣は地震が来てくれたことに安堵する。
発生した経済的損失は1日約2000億円。そのあと政府は、今回の地震が本当の地震かどうかも確かめず「安全宣言」を出してしまう。
しかしその後も余震が続き震度4が数回繰り返された。原発は震度4で緊急停止する。毎回マニュアルどおり点検整備が行われるが、やがて原発作業員は点検ばかりでヘトヘトになってしまう。
相次ぐ地震で、耐震設備が手薄になっていた火力発電所が故障する。電力会社本社は「今こそ原発の活躍のとき」と、そのあと緊急停止装置を解除した。
その数時間後、東海・東南海・南海の3つの大地震がほぼ同時にやってきた。震度7、マグニチュード8・3の巨大地震だった。
浜岡の炉心溶融がはじまる
最初の地震は大地震の前触れでしかなかったのだ。このパターンはシミュレーションにはなかったのである。大地震が起きて、日本列島の太平洋側南半分は津波で水没する。安全宣言で浜辺にあふれかえった海水浴客が、あっという間に津波に呑まれていった。もはや原発どころではない。耐震構造をごまかして名古屋に建てられた270メートルのビルは、あっけなく地上50メートルのところで折れた。政府は事態を把握するため情報収集にかかりきりになり、まったく原発を気にすることができなくなった。
一方原発では、緊急停止装置を解除して運転した後に大地震が来たのである。制御棒を水圧で操作する水のタンクに亀裂が走り、動かなくなってしまった。制御棒が入らなくなってしまったのだ。もはや核反応を止められない。炉では核反応により刻一刻と温度が上昇し、耐熱限度を超えていく。原子炉の温度は3000℃を超え、炉心溶融が始まった。原子炉建屋内の放射能は2万テラベクレルに達した。大量の放射能漏れだ。
誰かが手動で制御棒を動かしに行かなくてはならなくなった。結局原子炉を止めたのは原発勤務30年の技術者だった。定年を間近に控えた主任技師は、一人で100シーベルトの建屋に制御棒を動かしに入っていった。被曝労働者の許容年間被ばく線量は50ミリシーベルトである。技師は娘のためにメルトダウンは起こさせまいと、急性放射線障害で意識がなくなっていく中、なんとか制御棒をコントロールする。核反応は収束していくが、彼は生きて帰ってはこなかった。
この話はフィクションだが、日本では55基の原発や再処理工場内に1万トンウラン以上の核燃料が貯蔵されている。 地震は必ず起こる。そして現実の地震は個人の責任感でどうにかなるほど甘くはない。私たち日本国民には原発震災の危険だけが強まっているのだ。
(グリーンアクションさいたま)
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静岡発
なんでこんなところで鯰に出会うのだ
大口洋一郎
用水路でスイスイ泳ぐ鯰
8月のある休みの日のことだった。静岡市内の用水沿いの道を歩いていた。ふと流れに目をやると、いつも見かける鯉とは全く動きの違う魚が、縦横に泳ぎまわっている。
「はて、なんだろう」 よく見ると、なんとそれは鯰だったのである。
「なんでこんなところに鯰がいるんだ」 田んぼが残るとはいえ、一応町の中、用水路は大半コンクリートで覆われている。
驚いた私は、写真機を家からとってきてカシャカシャ撮影した。そのうちもう1匹現れた。それでさらに、川をさかのぼって歩いて見ていくと、200メートル程の間に5匹も確認できたのだ。
わたしは鯰は夜中に活動して、蛙や水中生物をとって生きている魚と思っていた。よどんだ川底でひそんで暮らしているのだと。
だが、目の前にいる連中は、けっこう澄んだ川のなかで昼日中に活動している。しかも人目をはばかることもない。泳ぎも意外に速い。
「こんなところにも自然はのこっていたんだ」と、自然の持つしぶとさに感嘆したが、こんなところに鯰がいるのは、ひょっとすると大地震がくるからかとも思えた。珍しいと喜んでばかりはいられない。異変の前ぶれかもしれない。
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(2006年10月25日発行 『SENKI』 1227号3面から)
http://www.bund.org/opinion/20061025-1.htm