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日本でGoogleやYouTubeのようなベンチャービジネスが生まれないのは、著作権を楯にバカ官僚が潰してしまうからだ。
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投稿者 TORA 日時 2006 年 12 月 18 日 16:10:48: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu134.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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日本でGoogleやYouTubeのようなベンチャービジネスが
生まれないのは、著作権を楯にバカ官僚が潰してしまうからだ。

2006年12月18日 月曜日

◆著作権は財産権ではない 12月18日 池田信夫BLOG
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/d/20061218

私は法律の専門家ではないが、Winnyに関する議論をみていると、賛否いずれの立場にしても、著作権に関する基本的な知識(素人でも持っておくべき知識)が共有されていないように見受けられる。そこで「法と経済学」の立場から、実定法にはこだわらず著作権の基本的な考え方について簡単にメモしておく。

まず確認しておかなければならないのは、著作権法は憲法に定める表現の自由を制限する法律だということである。これはもともと著作権法が18世紀に検閲のために設けられた法律であることに起因するが、複製を禁止することは出版の自由(freedom of the press)の侵害であり、自然権としては認められないという見解もある。その根拠として著作者のインセンティヴという自然権として自明ではない理由があげられるが、これを認めるとしても保護の範囲は最小限にとどめるべきである(森村進『財産権の理論』弘文堂)。

第2に、著作権は財産権ではないということである。「知的財産権」という言葉がよく使われるが、これは法律にも定められていない通称である。著作権は、譲渡とともに消尽する財産権とは違い、譲渡された人の行為も契約なしで拘束する無制限の複製禁止権である(私のDP参照)。さらに権利を譲渡された人も複製禁止権をもつので、権利者が際限なく増え、一つの対象を多くの所有者がコントロールする「アンチコモンズの悲劇」が生じる。

表現にとって第一義的な行為ではない複製という行為に着目したのは、かつては本を印刷・複製するにはコストがかかり、それを禁止することで著作物の利用をコントロールできたからだが、だれでも容易にデジタル情報を複製できる現在では、これは国民全員の行動を監視しなければ不可能であり、制度として効率が悪い。それよりも複製は自由にし、著者には報酬請求権だけを与えることが制度設計としては望ましい(田村善之『著作権法概説』有斐閣)。

経済学的にいえば、コントロール権なしでキャッシュフロー権を確保する方法はいくらでもある(Shavell-Ypersele)ので、両者をアンバンドルすることが効率的である。著作物が以前の著作を引用・加工することで成立する累積的効果も大きいので、複製を禁止するネットの社会的便益は負だという見解もある。この立場からは、狭義の財産権(著作者が情報を1回だけ譲渡する権利)のみを認め、複製禁止権は廃止すべきだということになる(Boldrin-Levine)。現在の無方式主義では、このように複製を広範に禁止することによる外部不経済を著作者が内部化しないので、登録制度によって著作者にもコストを負担させるべきだという意見もある。また前にも紹介したように、包括ライセンスを導入せよという意見は著作者の側から出始めている。

いずれにせよ、現在の著作権制度が抜本的な見直しを必要としているという意見は専門家に多いが、ベルヌ条約などで国際的に決められているため、「よその国も権利を強化したのだから横並びで強化することが『文化先進国』の証しだ」といった幼稚な議論が横行しているのが現実だ。三田誠広氏や松本零士氏のいう「遺族の生活」がどうとかいう話は論外である。著作権法は著作者のインセンティヴのための法律であって、遺族の生活保障のためのものではない。そもそも彼らは、どういう資格があって著者の代表のような顔をしているのか。Time誌もいうように、文芸家協会に所属する小説家だけが特権的な著作者であるような時代はとっくに終わったのである。


◆Winny事件の社会的コスト 12月13日 池田信夫BLOG
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/d/20061213

Winny事件の一審判決が出た。私は法律の専門家ではないので、判決の当否についてのコメントは控えるが、こういう司法判断がどういう経済的な結果をもたらすかについて少し考えてみたい。

今回の事件の特徴は、P2Pソフトウェアの開発者が逮捕され、著作権(公衆送信権)侵害の幇助が有罪とされたことである。これは世界的にみても異例にきびしい。たとえばアメリカで起こったGrokster訴訟では、P2Pソフトを配布した企業の民事責任が問われただけで、刑事事件としては立件されていない。ドイツでは、P2Pソフトのユーザーが大量に刑事訴追されたが、開発者は訴えられていない。

日本の警察が、さほど凶悪犯罪ともいえない著作権法違反事件に、なぜこうも熱心なのかよくわからないが、その結果、日本では著作権にからむリスクがもっとも大きく、したがって萎縮効果も大きくなった。先日、話題になった検索サーバが日本に置けないという事態なども、警察が検索エンジンを摘発したわけではないが、そういうリスクを恐れる企業が自粛しているのだろう。

企業が違法行為かどうかを文化庁に問い合わせれば、官僚は「キャッシュを置くのは違法です」などと答えるだろう(法的根拠はないが)。普通の企業は、これに逆らって逮捕されるリスクを冒したりはしない。アメリカでは、企業が行政の判断に不服なら、行政訴訟を起こして司法の場で最終判断が出るが、日本ではお上にたてつく企業はない。だからGoogleやYouTubeのようなベンチャーは、日本にはあらわれないだろう。それでもYouTubeのように自分のリスクで起業したら、民事ではなく刑事で摘発されるおそれが強い。日本の刑事訴訟の有罪率は99%だから、これは犯罪者になるのとほぼ同義である。

この種の事件の社会的コストというのは、直接的な差し止めによる損失よりも、このように人々のインセンティヴをゆがめることによる機会損失のほうがはるかに大きい。JASRACなどは「Winnyによる著作権侵害の被害は100億円」という怪しげな推計を出しているが、Google1社の時価総額だけでも18兆円だ。日本は、昔のコンテンツを守る代償に新しい企業による富の創出を阻害し、莫大な損失をこうむっているのである。

著作権の侵害は目に見えるが、過剰規制の社会的コストを負うのはすべての消費者なので、被害はわかりにくく、文芸家協会のようなロビー団体もつかない。しかし当ブログで何度も書いているように、こうした行政中心の集権的国家システムが新しい分野への挑戦をはばみ、日本経済の停滞をもたらしているのだ。「日本になぜGoogleが生まれないのか」と嘆く官僚は、自分たちがその原因をつくっていることに気づくべきである。


(私のコメント)
11月7日の株式日記で「低度情報化社会」について書きましたが、
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20061107
著作権について人それぞれバラバラの見解を持っているようだ。池田信夫氏のブログを読んでも、ブログに寄せられるコメントは著作権の見解についてズレが生じている。根本的には価値観の違いであり、ネットが無かった頃の法律でネットを規制しようとすると、ネットが非常に利用しづらいものとなる。

特に新聞や出版業界の人にとっては著作権は既得権だから出来るだけ拡大解釈をして、ネットにも当て嵌めようとする。テレビの放送局がYouTubeを目の敵にして削除依頼を数万件も出したのは、著作権そのものよりも自分達の築いてきた商売の領域を侵される恐怖からの行動だろう。

しかし著作権の拡大解釈が行なわれていけば、憲法で保障された表現の自由までも制約される恐れも生じる。音楽の分野でも作曲でパクリと言う表現で盗作ぎりぎりの作曲行為を言うのですが、創作活動は偉大な作品に対する模倣から創作は始まる。それを片っ端から著作権で縛れば創作活動は停滞するだろう。

このような著作権を楯にした取締りが強化されれば言論の自由も制限される事になるだろう。ネット上で時事問題を語る時にニュース記事を引用できなければ時事問題ですら萎縮して語られる事が制約される事になる。ネットはまだ出来たばかりのメディアだから裁判における判例も少なく、官僚たちの解釈にゆだねられる事も多い。

先日もNHKでネットの特番を放送していましたが、掲示板などの書き込みをめぐって議論が行なわれていましたが、掲示板に書き込まれた内容が法律に違反する内容の場合、掲示板の管理者にまで責任が及ぶのかと言う問題が話し合われていた。その場合に日本の「プロバイダー責任制限法」は非常に免責の範囲が曖昧であり、法律に触れる内容であるかまで誰が判断するのだろうか?

ところが現状ではプロバイダーの管理責任が問われて、「2ちゃんねる」などでは有罪で賠償金を払う判決が出されている。この件に関しては妥当であっても多くのプロバイダー管理者は自粛して問題のある投稿はみんな消してしまう事が行われている。これでは言論が制約されて内部告発なども出来なくなる。

日本でグーグルやユーチューブのようなベンチャーが出てこないのは、このような過剰な制約が「お上」の判断で潰されてしまうからだ。アメリカなどは訴訟社会だから弁護士達にとってはユーチューブなどを訴訟する絶好の材料なのですが、いま訴えても金にならないから放置されている。

しかし日本ではウイニーに対する有罪判決が出されたように、製作者が違反幇助で有罪とされて罰金刑が下された。「お上」にとっては見せしめの為にはなったのでしょうが、これではベンチャービジネスは片っ端から潰されてしまう。何しろベンチャー分野なのだから法律も未整備でグレーゾーンが多くなる。どのような利用方法もあるか分からないから、開発者はその責任まで一手に負わされることになる。

池田氏のブログでも主張しているように著作権法は著者や開発者のインセンティブを守る為にあるのですが、著作権が財産権のような解釈が横行して、法律の本質がゆがめられている。ましてや、ネットにおける著作権問題はどのような結果をもたらすのか先は見えていないのだから、十分な議論が必要なのですが、日本では規制が先にありきで、ベンチャーの芽をみんな潰してしまうようだ。

要するに工業化社会における著作権では音楽家や小説家などの保護が対象だったのですが、情報化社会では情報分野にまで著作権の対象を広げるのかと言う事が問題になってくる。日本でならグーグルやユーチューブは真っ先に訴えられて潰されるだろう。ところが訴訟社会のアメリカでは様子見のようだ。いずれは和解になどで金で解決されるだろう。

気がつけば日本では情報化社会に乗り遅れて、日本製グーグルも日本製ユーチューブも無くて、利益はみんな本家のアメリカに持っていかれる事になるのだろう。アメリカではユーチューブの開発者はM&Aで2000億円の利益を上げましたが、日本ではウィニーの開発者が有罪判決が出されて150万円の罰金だ。

情報化社会なら情報化社会に適した著作権法が整備されるべきなのですが、目に見える侵害を取り締まる利益と、将来もたらされる社会的な利益とを考えれば、日本のような規制先にありきでは、ベンチャービジネスも潰される。

株式日記ですら記事の無断引用で著作権を拡大解釈すれば有罪で、いつでもプロバイダーの過剰自己規制で削除されるのかもしれない。それでは時事関係のブログを書く人はいなくなり、国民の総白痴化に拍車がかかることになるのだろう。それは社会全体から見れば大きな損失になる。


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