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blogosphereはマスメディアである
私は単体のblogではなく、その集合体(blogosphere)はマスメディアであり、次世代ジャーナリズムとなれると考えています。それは「既にある情報を、右から左に流す」ことにマスメディアの根幹能力があり、一次情報の発掘能力は余録に過ぎないと考えているからです。
ジャーナリズム性がどうとか言われるとき、否定的な論の根拠としてよく「ニュースソースをリンクして紹介しているだけじゃないか」ことが指摘されます。それに対して、ニュースにたいする感想を書くことの価値などが論じられています。しかし、この反論自体にマスメディアやジャーナリズムに対する過大評価を感じざるをえません。
マスメディアの基本的機能というものを冷静に考えてみれば「既にある情報を、右から左に流す」ものだと言えます。通信社や他社の記事、プレスリリースを含む公式発表。既存のジャーナリズムを担ってきたマスメディアのニュースソースの大半は、そういう「よそのニュース」です。ある場所に既に存在するニュースを、自分の抱えている読み手に伝えること。これがマスメディアの本質である。私は、そう考えています。
既存のメディアがニュース紹介系のblogと違うのは、ニュースを転記したり自分なりに書き直したりして、自分たちの記事としているところだけですよね。メディアの参照元を示さずにやってるので、分かりにくいというだけではないでしょうか。
ちなみに「既にある情報を、右から左に流す」だけであるというのは、特に悪いことではありません。
情報の一次発信者にとっての存在価値を考えてみましょう。一次発信者にとってのマスメディアのメリットは、多くの人に情報が伝わる経路となることです。けっして取材能力や知性に期待しているわけではないはずです。
メディアの閲覧者としても考えてみましょう。情報を集めてきて「まとめて」読ませてくれる。そこに価値があるわけです。独自取材などよりも、必要っぽいニュースがその経路で確実に得られることに意義がある。載っていなければ他のを買うしかないし、欲しい情報が載らないことが多ければ乗り換えるものですよね。
テロやイラク戦争についての話題でジャーナリズム性が声高に叫ばれたことについて、一次情報を流すことそのものに価値があると、私も最初は考えていました。しかし、あれは事実がそこにあるのに流れていかないという状況を、Weblog群(blogosphere)が打破したのが重要なのではないでしょうか。
既存のマスメディアが「既にある情報を、右から左に流す」ことを達成できていなかったから、価値を認められた。そう考えたとき、Weblog群(blogosphere)のメディアとしての価値が、腑に落ちたのでした。
そしてblogで「既にある情報を、右から左に流す」ためには、単一のblogの良さは重要ではなく、記事を見て自分も紹介するというリンク紹介の連鎖に価値が生まれます。そしてリンクの連鎖により事実の伝達機構として機能するのであれば、blogosphere(weblogの世間)は新時代のマスメディアとして位置づけることができるはずです。
……そうですね。この電網快々@ココログのように、ろくにリンクもせず、TrackBackを飛ばしまくらず、長い文章ばかり書いているようなblogは、マスメディアとしてのblogには関係しない。単にblogツールをCMSとして利用しているだけに過ぎない。そう考えても良いのかもしれません。
まあ、TrackBackを受けつける記事公開ツールとしてだけでも、マスメディアとしてのblogosphereにとっての利用価値があるわけですけどね。
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Weblogとジャーナリズムの関係 商業ニュースサイトのような見た目になることによる価値の等価性促進あたりの話。新聞がとニュースソースを明示してリンクするようになれば、もっと似てくるでしょうね。Yahoo!トピックスなんかは、リンクを介してニュースを広めるツールなので、blogによるニュース紹介に近いと思います。blogの見た目も、あれを真似していいと思う。
ジャーナリズムにおけるウェブログ形式は何が急進的なのか? アメリカにおいてのblogジャーナリズムについての記事の翻訳について。「古典的に理解されるジャーナリズムでは、情報は報道機関から一般大衆へと流れる。今理解されつつあるウェブログ世界では、情報は一般大衆から報道機関に流れる」とありますが、これまでも販売店経由で地方記者に話題提供とかは普通に行なわれてたわけですけどね。
日本のブログジャーナルサイトへの期待 伝わるためにblog化を期待するとの記事。記事公開手段としてのblogは、ニュース伝達手段としてのblogにとって使いやすいから、広めやすい。というのはまちがいないと思います。
分散ジャーナリズム・流動性・祭り スクラップブックを公開するという言い方をしてますね。付加価値がなくても、公開され目に見えるところに出てくることそのものに価値がある、というのが私の話。「祭り」と同様なのは、TVだとワイドショーとか、長野サリン事件の報道とかかな。まあ2chの祭りで社会的地位を失ったとか、人が死んだとかは聞かないような気も。
http://sf.cocolog-nifty.com/blog/2004/01/blogosphere.html