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蘇我入鹿の邸宅「谷の宮門」にかかわると見られる大規模な石垣。右側には塀の跡も確認された(奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡で)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070201it12.htm
大化改新=乙巳(いっし)の変、645年=で、中大兄皇子(後の天智天皇)らに滅ぼされた飛鳥時代の大豪族、蘇我氏の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘東麓(あまかしのおか・とうろく)遺跡で、7世紀前半の大規模な石垣と塀の跡が見つかったと、奈良文化財研究所が1日、発表した。
蘇我入鹿(いるか)らが城柵を巡らせていたことを描いた「日本書紀」の記述と一致し、入鹿邸「谷(はざま)の宮門(みかど)」に付随する要塞(ようさい)の一部とみられる。古代最大の政変である改新の前夜、飛鳥を覆った軍事的緊張を物語る資料となりそうだ。
石垣は南北15メートルにわたり、最大で50センチ大の花こう岩を6〜7段積み重ねていた。高さは最高1メートル。1段積むごとに土を埋めた丁寧な造りで、渡来系の技法が使われたらしい。塀跡は石垣の東約1・6メートルで平行して見つかり、約5メートルにわたって柱穴4つが確認された。
「日本書紀」の皇極3年(644年)11月の条には、蘇我蝦夷(えみし)、入鹿の父子が、家の外に城柵を作り、兵で守らせたという記述があり、蘇我氏が強大な権力を背景に、軍備の増強を進めていた様子がうかがえる。
現地見学会は11日正午〜午後4時。
(2007年2月1日20時34分 読売新聞)
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<発掘>蘇我馬子の邸宅跡か 奈良・明日香村(毎日新聞
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/234.html
投稿者 シジミ 日時 2004 年 3 月 11 日 23:15:32:eWn45SEFYZ1R.
蘇我氏滅亡後の塀跡か-7世紀中の柱列(奈良新聞)
http://www.asyura2.com/0505/ishihara9/msg/306.html
投稿者 シジミ 日時 2005 年 12 月 05 日 22:35:53: eWn45SEFYZ1R.