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(回答先: 北朝鮮核実験:鳥取・境港市、北朝鮮・元山市と友好提携を破棄(毎日新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2006 年 10 月 22 日 00:36:13)
北朝鮮・元山市と境港市
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061024dde012040056000c.html
特集ワイド:北朝鮮都市と唯一友好結び14年、境港「絶縁」の事情
北朝鮮船の入港を全面禁止する制裁発動が翌日に迫った今月13日、国内で唯一、北朝鮮の都市と友好提携を結んでいた鳥取県境港市が元山(ウォンサン)市との提携破棄を決めた。核実験は許されない。国連や日本政府による制裁も当然だ。しかし、「対話と圧力」というなら、緊張が高まった今こそ、細いパイプはつないでおくべきではなかったのか。そんな思いで現地へ飛んだ。【大槻英二】
◇国内から非難多く寄せられ
中古自転車を満載した北朝鮮船でにぎわっていた境港の岸壁は、閑散としていた。薄い霧が立ち込める中、聞こえてくるのは、カモメの鳴き声と、パナマ船籍の貨物船から積み荷を降ろすフォークリフトの後退音。足元には巨大なエチゼンクラゲがころがっていた。
港近くにある倉庫には、古タイヤや中古自転車のほか、冷蔵庫や洗濯機などの中古家電が整然と並んでいた。外国船の入港予定を掲示するホワイトボードには、“常連”だった北朝鮮船の船名を書いた札が欄外に張られている。これまで、扱いの8割は北朝鮮船だった。現金売買が原則だが、「次に来る時、必ず払う」と覚書を交わして去った船もある。
外国船向けの商売を営む、この会社の経営者(51)は「個人的には商売が苦しくなるが、北朝鮮が核実験をしたという全般的な状況を考えると制裁は仕方ない。原点に返って、フィリピンやタイなど東南アジア向けの輸出に力を注ぐしかありません」と話す。
境港には、03年に北朝鮮船が過去最高の409隻、昨年は舞鶴港(京都府)に次ぐ193隻が入港した。こうした制裁のとばっちりを受ける業者が少なくない。
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境港市が元山市と友好都市提携を結んだのは92年。明治の末期から大正時代にかけて定期航路があり貿易も盛んだった。「国交がなく、近くて遠い国だが、昔のような関係を築きたい」と道筋をつけたのは、市議会議長だった下西文雄さん(93年死去)。79年から7回にわたって訪朝団を送り、調印にこぎつけた。
協定書では「お互いの記念日に、必要に応じて親善行事または交流を行う」「経済、文化、体育等各分野における成果をはじめ必要な資料の交換を奨励する」「永く友好関係にあることを原則とし……」などとうたい上げている。境港市側は11次に及ぶ訪朝団を送り、元山市側からの代表団を3回迎えた。両市の子どもたちの絵画展を開くなどの交流を重ねてきたが、02年に北朝鮮が拉致問題を認めてからは、あいさつ状を交わす程度で事実上中断していた。
今月9日、北朝鮮が核実験実施を発表したのを受けて、境港市の中村勝治市長は提携の見直しを表明。交流を推進してきた市議会側は「凍結」を主張したが、中村市長は「地方都市間の交流関係においても見直しせざるを得ない」と破棄を決めた。
父親の遺志を継いで市議となり、6回の訪朝歴がある下西淳史さん(64)は「凍結でも将来的に再構築するのは困難だと思う」と市長の判断に一定の理解を示しながらも、「どんな事態になっても糸が切れることはあっちゃならん。地方自治体ならではのつきあい方もあったのではないか」と複雑な思いを語る。
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境港は北朝鮮産ベニズワイガニの輸入が盛んだった。しかし、最近は流通業者から北朝鮮産が敬遠されるようになり、水産加工業者は原料を北海道産やカナダ産などに切り替える「脱北朝鮮」の対策を進めてきた。境港水産振興協会の副会長、米村健治さん(63)は「国民感情を考えれば、提携破棄は当然のこと。もたもたしていたら、境港は全国で浮きあがってしまう」と市長の決断を支持する。
中村市長が元山市に送った提携破棄を通告する文書にはこんなくだりがある。
「貴国による拉致問題、あるいは日本海漁業の安全操業等を脅かすミサイル発射など、我が国の主権と安全保障に脅威を与える姿勢が顕在化するたびに、本市に対し日本国内から、多くの非難が寄せられてきた」
これまで、北朝鮮問題がクローズアップされ、境港で中古自転車を満載する北朝鮮船の映像が流れる度、市役所には「早く手を切れ」といった抗議が寄せられてきたという。そのことが今回の判断に直結したとは思えないが、これで抗議する口実がなくなったことも確かだ。
提携破棄で、市役所に寄せられたメールは6件。「もっともだ」との声の一方、「こういう時こそ、平和の懸け橋として役立つのではないか」との意見もあった。
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境港で取材した何人かが、こう言ったのが気にかかった。
「はっきりしたことをしゃべる人はおらんと思うよ」
それこそが、境港の本音ではないか。そして今、日本中が「本当のことを言いづらい」空気になっていないだろうか−−。境港市の目抜き通り「水木しげるロード」を歩きながら、ふとそんなことを考え、身震いした。
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◇可能性を残すべきだった−−境港出身のノンフィクション作家・足立倫行さん
市長は苦渋の選択として決めたのでしょうが、市としての態度を示すというなら、「凍結」がよかったのではないか。今は一時的に異常な時期で、この先、どう変わるかは誰にも分からない。抗議の意思表示なら、これまでの交流を完全になかったことにするより、一時的に止めておいた方がよかった気がする。
金正日(キム・ジョンイル)体制下では、政治的なものをすべて抜きにした交流は難しいかもしれない。でも都市同士、市民レベルの交流はあるし、何か得るところはあったと思う。この嵐がおさまれば、朝鮮半島の事情がどう変わるか分からない。もし状況がよくなれば、いち早く交流を再開し、日本にとっての国益となる手助けができるかもしれない。可能性というのは、残しておいた方がよかったと思う。
日本海側に住んでいると、北朝鮮だけじゃなく、中国やロシア、韓国とうまくやっていかなければいけないと、ひしひしと感じる。米国の方ばかり向いている太平洋側の地域とは感覚が違う。日本海側というのは、半島や大陸で何かあれば、すぐ影響を受ける。硬軟両面の対策があるのでしょうが、軟の方も十分懐を深くしておかないと、あまり突っ張り過ぎると、かえって生き残っていけない。
それにしても、右といえば右、左といえば左へ極端に寄ってしまう日本人の習性は、インターネットが普及して匿名で他人を非難できるようになってから、余計にひどくなっている気がする。一方的バッシングの性向は、日本人がもう一度考え直した方がいい問題ではないか。
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■人物略歴
◇あだち・のりゆき
1948年生まれ。早稲田大政経学部中退。週刊誌記者を経てフリー。著書に「日本海のイカ」「北里大学病院24時」など。
毎日新聞 2006年10月24日 東京夕刊