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くすぶる沖縄独立への情熱:県知事選挙に「琉球独立党」から候補者
やはり出てきた琉球独立党の候補者――。11月19日の沖縄県知事選挙に沖縄独立を主張する琉球独立党から屋良朝助氏が立候補を表明し、県民の注目を集めている。戦後、沖縄では節目となる重要な選挙のたびに独立の旗を掲げた立候補者が出てきた。今回の選挙は米軍再編、道州制の導入、経済的自立など重要な課題が問われているだけに「やはり出てきたか」という印象だ。
今回、立候補を表明したのは那覇市出身で千葉県在住の商業・屋良朝助氏、54歳。沖縄県那覇市の中心街でチラシを配布するなど意欲的である。屋良氏は「沖縄と奄美諸島を含めた琉球の独立」を主張している。沖縄の置かれた政治情勢から判断すると、今度の知事選に独立党が出る要素は十分にある。
これまで「沖縄の独立」を主張した候補者が挑戦した選挙は、以下の3回。
1960(昭和35)年11月13日に実施された第5回立法院議員総選挙で、琉球国民党が「国連の信託統治下での独立」を掲げて立候補した。それまでは米国高等弁務官が任命していた琉球政府主席を、琉球立法院の第1党から初めて選出されるという画期的な選挙だった。琉球国民党の党首・大宜味朝徳は立候補者を新聞広告で募集し、有権者をびっくりさせた。が、同党は供託金が没収されるというみじめな結果に終わった。
1968(昭和43)年11月10日、初めての住民の投票によって選ぶことになった琉球政府主席選挙。米軍占領下で住民が展開した自治権拡大闘争が初めて実を結んだ、として各政党は選挙にエキサイトした。琉球独立党からは野底武彦氏が立候補したが、惨敗におわった。野底氏は公認会計士だけに沖縄の将来の経済自立に向けて「尖閣油田の開発」「海洋資源の活用」などを掲げていた。現在の尖閣油田・海底ガスの発掘の状況を考えると、その先見性は高く評価できる。
1971(昭和46)年6月27日に実施された国政参加選挙。復帰を控えて行われた参議院選挙に立候補したのは、かつての大衆金融公庫総裁の崎間敏勝氏。琉球独立党の党首を名乗り、「日本復帰はポツダム宣言などに違反している」と主張した。東大法学部中退の経歴を持つ崎間氏の「琉球独立党」の党首宣言に、有権者は「気でも狂ったのか」(『週刊朝日』1971年7月9日号)と批判した。その一方で、エリートの出馬にショックも受けた。復帰を目前にして「反復帰論」は知識人や労組の一部にあったが、その人たちは崎間氏の独立論に与しなかった。
今回、立候補を表明している屋良朝助氏は、沖縄独立の理論家であり、歴史家、画家の山里永吉氏の著作を読んで、琉球独立への思いを抱いた。18歳のとき、野底氏の琉球独立党で行動してきた。
現在、琉球独立を主張している人々は「非武装論」がほとんどだが、屋良氏は「武装論」を唱えている。屋良氏は「県知事選挙は保守か、革新かではなく、沖縄が独立すべきか、独立すべきでないかの選択である」と主張している。
http://www.janjan.jp/column/0608/0608050129/1.php
琉球独立党 公式ホームページ
http://www.bekkoame.ne.jp/i/a-001/