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私はなぜ会派の離脱したのか
"県民協働とは私が3年半前に始めて県議に当選した時、付けた名前である。この県議選で社民党に党籍がある者が5名当選し、もう1人は選挙前は籍があったが、離党した人である。
今でも克明に覚えているのは、当選した社民系6名の議員が集まって会派結成の話し合いをしたが、選挙直前に離党した彼から、選挙時の約束だから無所属で行きたいとのことであった。そこで残った党籍のある5名が会派結成や会派名について延々と話し合いをもった。「俺は党籍はあるが無所属で出ているので社民と名の付く会派は都合が悪い」「党公認で出たので社民は使ってほしい」「この際、社民の名前のない会派をつくろう」などなどであった。そうは言ったものの会派名をどうするかは頭の痛い問題であった。私も長い間、(昭和43年入党)日本社会党そして社会民主党の党員として活動してきたので、社の文字を使う会派名にはあまり抵抗はなかった。確か2〜3日過ぎていよいよ議会事務局に会派名と会派構成議員名を届ける必要に迫れれた。そして、その席上私の提案で「県民協働会議」の名前を提案したのである。その後、宮沢県議の息子さんが、会議はチョット古いのでネットを使ったらとの話があり、正式に「県民協働ネット」の会派名が付き、その後無所属の議員が入り、今では「県民協働・無所属ネット」の会派名となっているのである。
さて、協働の文字は造語である。本来は「共同」あるいは「協同」である。しかし、今ではれっきとした言葉、単語化している。その出発点はNPO(非営利特定団体)にある。特に、社民党の衆議院議員辻元清美さんが一生懸命、NPO法の制定に努力し、亀井静香氏などの協力を得て法案成立に飛び歩いた。そのとき盛んに使われたのが「協働」と言う言葉である。知事田中康夫はこの6年間「自立」を「自律」と使い、「協同」を「協働」と使っていた。ある意味、きわめて意識的に使っていたのである。私たちが、生活しているこの瞬間でも自分の置かれている立場、そしてやれるべきことややれないことはある。それは自己認識から始まる。つまり、自立以前の自律意識から始まる。協同も共同も共に働く協働から始まる。その意識や自覚を失った「県民協働」なるところに私は居れない。「村井さんなら何かやってくれる」「村井さんなら何かが変わる」「村井さんなら上手にやってくれる」など他人任せの時代は過ぎたのである。まさに自己をトライアルする、その自律があって協働できるのである。自律を失った協働は協働の否定なのだ!だから私はあえてトライするのである。"
http://www.paw.hi-ho.ne.jp/t-tetsu/kensei_omou/omou_215.htm