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2006年8月1日(火) 朝刊 1・29面
読谷飛行場 大半返還
140ヘクタール 63年ぶり村へ
【読谷】沖縄総合事務局と読谷村は三十一日、米国から返還された読谷補助飛行場(一九〇・七ヘクタール)の大半一三九・七ヘクタールの国有地と、嘉手納弾薬庫内にある村有地一四・一ヘクタールを等価交換した。戦前、旧日本軍に接収され、戦後米軍に使用されてきた同飛行場の所有権は六十三年ぶりで村側に戻る。安田慶造読谷村長は「飛行場の返還は村の最重要課題だった。時間はかかったが悲願が実現でき感慨深い」と喜んだ。一方、那覇防衛施設局は米軍用地特措法の使用期限切れに伴い、楚辺通信所(象のオリ)内にある知花昌一氏(58)の土地約二百三十六平方メートルを返還した。
村は返還地の大半を旧地主で組織する農業生産法人に貸し付ける予定。地主の所有権確認をめぐり難航する県内の旧軍飛行場用地返還問題では初のケースで所有権問題解決の指針となりそうだ。
等価交換の調印式は村文化センターで行われ、安田村長と沖縄総合事務局の酒井慎一財務部長が、国有地と村有地の等価交換に関する契約書に署名、押印した。酒井部長は「村の跡地利用計画に最大限協力したい」と支援を約束した。
村は三十一日までに、県から農地保有合理化法人の資格を取得、九月以降、農業生産法人に土地を貸し付け、跡地利用が本格化する。返還地内では健康増進施設や村道の整備も予定されている。
同飛行場の返還地のうち一四・九ヘクタールは、旧地主以外の地権者百五十六人に返還された。
同飛行場は一九九六年のSACO(日米特別行動委員会)で、二〇〇〇年度末までの返還で日米が合意した。
一方、返還された楚辺通信所内にある知花氏の土地は米軍用地特措法に基づく使用期限切れに伴い一九九六年四月から三百八十九日間「不法占拠」され、日米安保体制を揺るがす事態に発展した。
◇ ◇ ◇
「闘いの勝利夢かなう」/黙認耕作者に動揺も
【読谷】「悲願がかなった。胸がいっぱいだ」―。米軍読谷補助飛行場が三十一日、返還された。旧日本軍による強制接収、強行されるパラシュート降下訓練などに、村民は抗議行動や所有権回復運動を展開してきた。長年の闘いで、勝ち取った返還だけに、村は喜びに沸いた。一方、「村の配慮が必要だ」と、不安を訴える黙認耕作者もいる。
村有地と国有地との等価交換調印式で契約書に署名した安田慶造読谷村長。署名後、「この問題に取り組み、亡くなった先輩も多い。返還は感慨深い」と語った。
本土復帰の一九七二年に村職員となった知花俊治さん(54)は、何度も訓練への抗議行動に参加。「あれだけ闘っても、米軍は村民の声に耳を傾けなかった。その基地が戻ってくる。夢がかなった」と興奮気味に話す。
旧地主で組織する読谷飛行場用地所有権回復地主会の島袋勉会長(66)は「まさに歴史的瞬間」と喜んだ。跡地利用の主体となる農業生産法人「農園そべ」の比嘉明社長(60)は「跡地利用が課題。肩の荷が重くなったようだ」と表情を引き締めた。
一方、黙認耕作を続ける農民には動揺が広がる。今後も農耕を続けられるか、不安を募らせる。耕作者の会の照屋寛一郎会長(67)は「血のにじむ思いで長年、耕してきた。村は私たちに配慮してほしい」と訴えた。
調印した知花さん「鍵受け取り実感」
【読谷】一九九六年から返還を求め続けてきた反戦地主の知花昌一さん(58)の土地約二百三十六平方メートルも三十一日、米軍用地特措法の期限切れで返還された。
午後四時すぎ、楚辺通信所前で調印式が行われ、敷地内への入り口の鍵が那覇防衛施設局から知花さんに引き渡された。「鍵を受け取って、やっと返還されたと実感した」と喜んだ。
九五年、当時の大田昌秀知事が強制使用手続きの代理署名を拒否し、国の法的根拠のない「不法占拠」が一年余り続いた。以降、土地へ適用された特措法への反対運動や裁判など返還を訴えた。この十年の闘いを「慌ただしく過ぎた」と振り返った。
土地に入った知花さんは「これまで三度立ち入りしたが、いずれも時間の制約があった。やっと自由に出入りできる」。今後は修学旅行で訪れた学生などへ平和学習の場として活用する。
読谷補助飛行場用地の等価交換契約に署名、調印する安田慶造読谷村長(左手前)と酒井慎一沖縄総合事務局財務部長(右)=31日午後4時20分ごろ、読谷村文化センター
沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200608011300_01.html