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(回答先: Re:なぜ人間は死んだ先に何があるのかを知りたがるのか? 投稿者 時間を返せ 日時 2006 年 11 月 12 日 00:24:55)
お邪魔します。
その先が有るのか、無いのか誰にも
分からないのではないでしょうか。
有ると考える人もいれば、無いと考える人もある。
しかし、結局は「わ・か・ら・な・い」に落ち着くのでは。
私は行ってから確かめてみます。
ただ、生き物は死を恐れるから、その先は無いと本能的に知っている
というのは、どうもすっきりしない感じがします。
本能が何も無いものを感知するでしょうか。
本能が生に対して死後は何も無いことを感知する事が出来るならば
それは、逆に、生との対立物として何かの存在を
認めることにならないでしょうか。
死を恐れるというのは、もしそういう本能が有ればですが、
「自己保存」に反する為ではないでしょうか。
或いは、生の慣性があるのかもしれない。
しかし、こんな事はどうでもいいのですね。
誰にも「わ・か・ら・な・い」ことですから、これこそ
戯論そのものです。
生きているうちは精一杯生きていこうと言う考えは大賛成です。
ただ、自殺する人は苦悩しているわけで、
この苦悩をどうにかしてやらなければならないと思います。
苦悩に対処する一つの答えが仏教なのではないか、
と私などは思ってしまいます。
校長さんがよく自殺しますが
「雨ふらば降れ 風ふかば吹け」のように
開き直りのような見識でいいと思ますがね、私は。
宗教という言葉を使わないのは、
宗教なる言葉の守備範囲が広すぎて
宗教について語りあっているつもりでも、
お互いピントが合っているかどうか怪しく感じるからです。
だから、仏教という言葉を使いました。
それと、仏教以外のものを全く知らないからです。
ただ、数冊読んだ程度ですから、
仏教に詳しいわけではないのですよ、念のため。
だから、ほとんど戯言です。
仏教が社会的矛盾の緩衝材になることは
確かにあるのでしょう。
しかし、その様な社会で実際に苦悩している人間もあるわけで、
この様な人々に救いを用意しておくことも
必要なのではないでしょうか。
仏教が必要ないと考える人もあると思いますが、
苦悩する人間が存在する限り、その様な人が精一杯生きる為に
仏教は必要であり、また存在し続けると思います。
何を言いたいのか分からない文になってしまいました。
結局
浜の真砂は尽きるとも、人間に悩みの種は尽きまじ
かな?