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(回答先: 天皇に成る爲の極めて重要な行法。祝(はふり)のb事 投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 11 月 05 日 07:20:37)
古b道ついて (3)古傳繼承派
伯家、吉田(卜部)、物部、中臣、巫部、山蔭などがある。普通、道統は一子相傳で傳へら
れて、血筋が重んじられる。伯家b道と吉田b道が二大家元と稱された。
伯家b道・・・伯家b道とは天照大b以來の皇室のb道で、大中臣、忌部、橘などの諸氏が任
じられてきたb祇伯を、第六十五代花山天皇の皇子清仁親王の御子延信王(のぶざねおう)がb
祇官の長官たる「伯」に任命されるに伴ひ、代々、白川b祇伯王家として明治維新まで世襲し
てきたもので、天皇の祭祀の御名代役として八b殿に仕へてきた門外不出の古b道でした。其
の行法は、當然天皇の靈性を守る事を目的にしてゐました。大嘗祭の時、天照大bと天皇自身
が一體化する祕儀も此の伯家b道の行法の一つです。其の後、宮中の「菊のカーテン」の奧深
く傳承してゐたのである。ただ、其の間に、伯家にも何度か廢れかかつた時期があり、歴代天
皇がすべて伯家の行法を行じた譯ではないやうです。明治時代に成つて、文明開化と云ふこと
でb祇伯が廢止され白川家も子爵に成りました。
第三十三代の白川資長氏には子供がゐなかつたので、絶家に成つてしまひましたが、幸運に
も伯家b道はいくつかの民間ルートで祕傳が傳承されてゐました。伯家の民間ルートは次のや
うに成つてゐる。
第三十一代の資敬王からの傳授を受けた井上正鐵を祖とする身曾岐b社・禊教眞派・唯一b
道禊教。平田篤胤・伯家筆頭執事長の高濱清七郎の系統の伯家b道傳承奉賛會。第三十代の雅
壽(まさかず)王が傳授した青柳種信、辛島竝樹、鬼倉足日公のすめら教・現代b道の會など
の系統。大阪府の鶴見b社などの小數の伯家系b社です。
かうして古代から天皇家が保存してゐた古b道のb髄が再び民衆に公開される事に成りまし
た。天皇では、明治天皇が最後の伯家b道の傳承者と云はれてゐます。明治天皇は御製の數萬
首の和歌を出してゐるが、靈性を重視した歌を多數歌つてゐる。特に此の御製は象徴的です。
我國はb乃末なり b祭り
昔乃手振 忘るなよ夢
此の手振りは伯家b道の祕傳である「天津微手振、天津息吹」と云つた古b道の行法のこと
でせう。其の行法によつて、明治天皇は伯家の手かざしによる古b道ヒーリングを使つてミタ
マを淨めてゐたらしい。ただし、現在の天皇家がどこまで伯家の行法を行つてゐるかは不明で
す。
吉田b道・・・吉田は氏はト部で、古代から龜トをもつて朝廷に仕へた家柄です。室町時代に
吉田兼倶(かねとも)が出て、大きくb道界に勢力を伸ばすことに成ります。兼倶は元本宗源
b道(吉田b道)を創唱して、b祇官の八b殿になぞらえた八角形の形をした「大元宮」を建
立する。そして、本來の家元である白川伯王家の力が衰へたのに乘じて「b祇管領長上」を稱
して江戸時代までb道界に君臨する。現在の京都の吉田b社は單なるb社と成つて行法は殘さ
れてゐませんが、吉田b道は現存の各流派に大きな影響を與へてゐる。吉田b道では、b道の
奧儀・行事・教理を傳授する事を「b道傳授」と呼び、b道加持・宗源行事・b道護摩・火燒
行(切紙傳授)などを祕傳・口授・口訣などと稱して傳授したやうです。
物部b道・・・天孫ニニギノ命に先立つて大和國(現在の奈良縣)に天下つた饒速日命(ニギ
ハヤヒノミコト)を祖とするものである。奈良縣の天理市にある石上b宮は、物部b道を傳へ
る古社で、古來「布留社(ふるのやしろ)」と呼ばれ、「振魂(ふるたま)b法」を繼承して
ゐる。飛鳥時代(五八七年)に蘇我氏に物部守屋が滅ぼされたため、物部氏は沒落してしまつ
たが、天皇家に行法を傳授した側面もあります。現在、石上b宮では定期的に氏子には行法指
導を行つてゐます。
山蔭b道・・・應b天皇の時代に來日した阿知使主(あちのおみ)を祖とするb道で、原始b
道を儒教・陰陽道・易學などの古代支那の哲理で論理化したものである。現在の山蔭基央管長
は第七九世であり、本も多數出版し、古b道の普及に貢獻してをられる。「自靈拜」と云ふ言
葉自體は、山蔭b道の用語である。當然、外來思想の混入がある
古b道ついて (3)古傳繼承派
http://www.interq.or.jp/earth/tkaneko/pages/kosinntou.html