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(回答先: 平成二十年(二千八年)、日本發世界大恐慌と云ふ世界の分水嶺。そして其の後どうなる 投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 10 月 25 日 21:28:09)
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第二十議定
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經濟計劃。累進税。累進税印紙。利附き債劵と通貨不振の大藏省。財政の方
法。儀禮的宴會の廢止。資本の沈滯。通貨發行。金本位制。勞働力の基
準原價。豫算。國債。一パーセント、利益。産業分布。ゴイムの支配者、
寵臣とメーソン代理人。
今日は財政計劃の諸問題を取り上げる。此の問題は扱ひが尤も難しく、われわれの
計劃の中では最高かつ決定的に重要なので、私の報告の中では最後に述べる事にし
ておいた。本論に入る前に想起していただき度いのは、私が既にヒントとして提示
しておいた事、われわれの活動の總括は數字の問題として現はせると云ふことであ
る。
われわれの王國が實現した時には、われらの專制政府は、自衞のために賢明にも、
人民大衆には税の負擔をかけないやうにする。此れは、われわれの政府は父親や保護
者の役割を果たすと云ふことを想起していただき度い。さり乍ら、國家組織には莫
大な金がかかるのであるから、必要な資金は確保する必要がある。ゆゑに、格別細心
の注意を拂つて、此の問題に關しては適切な課税方式を定めなければならない。
われらの王は、法的な形では國の資産は悉く王が所有者であり(形だけでな
く實際にも容易に其れが適用出來る)、國内流通を規制するためにはあらゆる資産の
總額から合法的に徴收する事が出來るのである。此のことから、課税は累進課税方
式で徴收するのが尤もよろしいと云ふ結論に成る。さうすれば資産總額の何パーセン
トと云ふ形で支拂ふべきものが支拂はれ、何びとも困窮したり破産したりする事が
ない。富める者は、税金を拂へば殘りの金は國家が財産不可侵權で保障して呉れ、な
おかつ正直な利益を保護して呉れるのだから、餘分な金の一部は國家に御自由にお使
い下さいと差し出すのが義務であると考へなくてはならないのである。私は今、「正
直な」と言つた。此れは財産をしつかり監督すれば、法律で云ふ泥棒を驅逐するとい
う事を意味してゐる。
社會改革は上記のことから始めなければならない。其の時は熟してゐる。其れは
安寧の印として不可缺なことである。
貧しい者に課税する事は革命の種を蒔くことに成つて、小を追つて大を逃し、國
家の損害と成る。そんなこととは全く別に、資本家に課税するのは、個人の富の増加
を防ぐことに成る。われわれが昨今資本家の手に富を集中させたのは、ゴイム政府の
力、國家財政が強くならないやうに、平衡力をつけるためであつた。
資本の高に對して累進課税を課すると、現行の個人課税や資産課税よりも遙かに大
きな收入と成るが、現在の課税方式はゴイムの間に不滿と叛抗を起こさせると云ふ理
由でのみ、われわれには必要なのである。
われわれの王は、均衡を保つことと安寧を保證する事に強みがある。其れがため
には、資本家たちは國家機關を正常に動かすために自分の所得の何分の一かを投げ出
すことが絶對に必要なのである。ゆとりのある人々は公共の必要を賄はなければなら
ない。
さう云ふことが行はれると、貧民は富豪を怨まなくなり、富める者は國家維持には
なくてはならない財政的支柱であり、國家に必要なものを支拂つてゐるからには、安
寧福利の守り役であると云ふことが解つてくるのである。
智識階級の納税者に新體制の納税方式にあまり不平を言はせないやうにするには、
公費の細かい支出を見せてやるが、王室費と行政費とは例外である。
すべてを支配する王には、國家のすべてが王の財産であるから、王個人のものと稱
する財産は何もない。と言ふと矛盾があるが、實はある方法で、實際には普通の意味
で國家のすべてを所有すると云ふことは出來ないやうに成つてゐる。
國家資産で扶養する王の妻子は別として、統治者の親族は國家公務員に成るか、資
産を得るべく働かなければならない。王の血族だからと云つて、國庫に屬するものを
私する權利があつてはならない。
販賣、所得、相續には、累進課税印紙を支拂はなければならない。所有權を移轉す
るときには、動産であらうと不動産であらうと、姓名を記載した印紙による支拂の證
據がなければ、最初の所有者は移轉の宣告が發覺した日からの利息を支拂ふのである。
賣買物件登録は、新舊の所有者の住所・氏名を附して、毎週大藏省地方支所に屆出し
なければならない。此の姓名附き登記は所定の金額を超える場合から始め、通常の日
常品賣買には一定單位ごとの所定パーセンテイジの印紙税を支拂へばよろしい。
此のやうな方法だとゴイム政府の收入の何倍に成るか計算してみていただき度い。
大藏省は一定額の豫備金を確保し、其れを超える徴收額は全額流通に還元しなけれ
ばならない。其の還元額は、公共事業に當てる。國庫から資金が出る此の種の事業は、
國家が企劃實施するのであつて、此れにより勞働者階級の利益とかれらを支配する國
家の利益とが固く結び附くのである。此の資金の一部は、事業の發案者や施行者に與
える報償金にも當てる。
國庫には、たつぷりと確保した所定の豫備金のほかには、たとへ少額であつても決
してよけいな金を置いておいてはならない。金と云ふのは流通させるべきものであつ
て、凡そ流通を妨げる事はすべて國家機構の運營には支障を來たす。其れは潤滑
油のやうなものであり、潤滑油が滯つた日にはよどみなく活動すべき國家機構が齟齬
を來たす。
貨幣の代用に紙幣を使ふことが、確實に流通を阻害した。此の状況が續いてどうい
う事に成つてゐるかは、既に明らかでる。
われわれは王が直轄する會計檢査院を設ける。其處では王が如何なる時でも、まだ
決算されてゐない當月分とまだ發生してゐない翌月分は別として、前月までの國庫の
收入支出状態を親しく檢査出來る。
國庫から盜んでも何の利益にも成らない唯一の人間は、其の所有者であり、王であ
る。此れによつて紛失や浪費の可能性を封じる事が出來る。
支配者の代表的な行爲に、儀禮のための宴會と云ふのがあるが、此れは貴重な時間
を浪費するものであるから、王に統括と熟慮の時間を確保するために、宴會は一切廢
止する。王の力は、きらびやかな王位を取り圍み、自分のことしか考へず國家の問題
なぞ念頭にない取り卷き連中にかしづかれ、取るに足らない事に時間を割かれるべ
きではない。
われわれがゴイムの間に作り出した經濟危機では、流通貨幣の引上げほど效果のあ
るものはなかつた。國内から貨幣を引き上げると巨大資本は停滯し、不足した資本は
借金に頼らざるをえなくなる。此の借金と云ふのが利息が嵩むものだから、此れらの
資本は國債の奴隸と成る……小さな親方たちの手から資本家の手に産業を集中すると、
全人民が、そして國家も活力を失つてくる。
一般的に言つて、現在の通貨發行は國民一人當りの消費に相応してゐないので、勞
働者の必要を滿たすことが出來ない。通貨發行は人口増加に相応すべきであり、子供
は生れた其の瞬間から一人前の消費者であると計算しなければならないのである。通
貨發行量の變更は世界中ど此の國でも重大問題と成つてゐる。
御存知のやうに、金本位制を採用した國々は危殆に瀕してゐる。われわれが流通し
てゐる金を出來る限り引き上げるものだから、通貨の必要を滿たすことが出來なくな
つてゐる。
われわれは紙でも木でも構はないのだが、勞働力の價値に見合ふ通貨を作らなけれ
ばならない。われわれは國民の必要に応じて、詰り、人が生れれば通貨發行額を増
加させ、死ねば減少させる。
各官廳各地方(たとへば佛蘭西行政部)の財政は、其れぞれが運營管理する。
國費の支拂に遲延を來さないやうにするためには、支拂日と支拂額とは王の命令で
一定に定める必要がある。此れにより、ある省の大臣だけが便宜を得て、他の部門は
迷惑すると云ふやうなことが起こらないやうにする。
收入豫算と支出豫算とは、兩者が隔絶する事がないやうに比較點檢しつつ實施す
る。
われわれが計劃したゴイムの財政制度と原理の改革案は、誰も肝を潰さないやうに
衣をかぶせてある。われわれは、ゴイムがしでかした不始末によつて財政に撒き散ら
した混亂の結果、改革が必要である事を指摘する。われわれが指摘する第一の不始
末は、次々と起こる原因で年々膨れ上る年次豫算に初めから仕込まれてゐる。其の豫
算は、上半期まではダラダラと行はれ、其れから補正豫算を要求し、三ヵ月ぐらゐか
かつて補正豫算を作ると、もう清算豫算を出さなければならない時期に成つて終りで
ある。だが、翌年の豫算は前年の總支出に基くので、經常の必要よりも年間五〇パー
セントにも達し、十年もたつと三倍に膨れ上る。ゴイ政府の無頓着なやり方のお蔭で、
國庫は遂に空に成る。此處で國債時代が始まるのだが、國債は國庫以外のものまで
呑み込み、かくてゴイ國家全部がご破産と成るのである。
先刻御承知であらうが、かくのごき財政管理法は、われわれがゴイムに授けた方法
であつて、われわれが此れを實行する事は出來ない。
國債はどんな種類であらうとも、國家が脆弱であり國家機能を理解する事すら缺
如してゐる證據である。國債は支配者の頭の上にぶら下つてゐるダモクレスの劍のよ
うなもので、支配者は國民から税金を取る代はりに、われわれの銀行家に掌をさしの
ばして憐れみを乞ふやうに成る。外債は國家の體に取りついてゐる蛭であつて、蛭の
方で自然に落ちるか、國家が叩き潰しでもしない限り取れるものではない。だが、ゴ
イの國家は此の蛭を拂ひ落とさない。行き着く先は減亡と云ふところまで、ますます
取りつかせ太らせ、最後は失血して自ら死を招くのである。
細かい點は別として、國債とは、とりわけ外債とは何であるか? 國債とは??發
行總額に比例して利息が上つて行く、政府發行の手形である。かりに國債に五分の利
息が附いてゐるとすると、二十年間に國家は國債總額と同額、四十年間に其の二倍、
六十年間に三倍の利息を拂ひ、なほかつ借りた分だけが未拂のまま殘るのである。
此の計算を見れば明らかなやうに、どう云ふ徴税方法かで一人當りから徴税すれば、
國家は富める外國人に利息を拂ふために、貧しい納税者から最後の小錢まで卷き上げ
ずにすむのに、餘計な利息など拂はずに必要な額を調達すべく小錢をかき集める代わ
りに、富める外國人から金を借りてしまつたのである。
國債が内國國債であるうちは、ゴイムは貧民の懐から集めた金を富豪の懐に收めた
だけだつたが、われわれが特定の人間を買收して、國債を外國に賣らせるやうにして
からは、國家の富はすべてわれわれの金庫に流れ込み、ゴイムと云ふゴイムはわれわ
れに國民を貢物として差し出したのである。
ゴイの王者たちの國務に對する淺薄な態度、大臣たちの腐敗、國政を預る者たちの
財政問題に對する理解の缺如が、かれらの祖國をわれわれの金庫に對する拂ひ切れな
いほどの巨額の債務者にしてしまつたが、其れはわれわれの側の勞力と金錢の多大な
出費なしには容易に出來る事ではなかつた。
われわれは貨幣の流通にはなんらの障碍も許さないから、一パーセント物を除いて
は利附き國債は發行しない。從つて、國家の力を吸ひ取る吸血の蛭どもに利息を拂ふ
ことがない。利附き公債發行權は專ら、利益から利息を拂ふことが無理でない工
業關係の會社に與へる。國家は、會社のやうに借りた金で利益を收めるのではない。
國家は消費のために金を借りるのであつて、運用資金として借りるのではない。
政府もまた工業公債を買ふけれども、政府の立場は現在のやうに配當を拂ふ債務者
ではなく、利息を受ける債權者の立場に成るのである。此の方法ならば、貨幣の流通
停滯や奇生資金や遊休資金をなくせる。此れらはいづれも、ゴイムが勝手にやつてわ
れわれの支配に從ふ氣がない限りは、ゴイムに對する有效な手だてだつたのである。
ゴイムの頭と云ふのは、思考力の發達してゐない事にかけては、全く野獸竝みで
ある事が明々白々ではないか! かれらは、われわれから利子附きの金を借りてい
る。其の元利を返さうと思へば、國庫から取り出す以外に手はなく、結局またわれわ
れから借りなければならず、どうあつてもわれわれの懐に戻ると云ふことを考へても
見ようとしないのである。かれらが必要とする金は、人民から取り立てた方がはるか
に簡單であつたのに!
だが、此處にこそわれら選ばれたる民が天才である事の證しがある。われわれは、
其の方法ならばかれらの利益に成るかのやうにかれらに持ちかけて來たのである。
時至りわれらが會計を提示する場合には、われわれがゴイ政府に對して幾世紀にわ
たつて行つてきた經驗にかんがみて、明白かつ決定的な内容とし、われわれの新制度
の利益に成るものである事が萬人に一目で判るやうにする。其の豫算は、われわれ
がゴイムを從屬させるために多用した方法はすべて打ち切り、われわれの王國にほひ
てはかかる方法は微塵も許さない。
われわれは王であらうと最下級公務員であらうと、如何なる些少な金額でも、あら
かじめ決められた支拂先以外の所には支拂はれぬやうに會計方式を立て嚴重管理する。
明確な計劃なしには、統治は不可能である。英雄や半神と云へども、どこへ行くか
も解らない道を、十分な金の準備もなしに旅立てば、失敗するほかはないのである。
ゴイの支配者たちは、かつてわれわれが助言したとほりに、國務を怠つて各國代表
たちとの宴會や儀禮、歡樂にふけつてゐた。かれらはわれわれの支配が目に見えない
ようにする衝立に過ぎなかつた。王たちに代つて寵臣たちが書いた囘顧録なるものは、
實はわれわれの代理人が書いたのであるが、其處には決まつて將來の經濟と繁榮が約
束されてゐたので、皮相的にしか物を考へない人間たちを滿足させた……が、何の經
濟のことか? どんな新税を???われわれの囘顧録や計劃を讀めばさう云ふ問が出
てくる筈なのに、誰一人として質問しなかつた。
かれらの人民は驚くべきほど勤勉なのに、かれらが途方もない財政的混亂に陷つた
原因が、其のうかつさにあつた事は、諸兄はよく御承知のことと思ふ。
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第二十一議定
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内國債。債務と税金。書替へ。破産。貯蓄銀行と國債。取引所廢止。産業價
格法。
前囘の集まりで述べた事に、今囘は内國債に就いて細かい説明を附け加へ度い。
外債に就いては、重ねて申し上げる事はない。外債のおかげで、われわれはゴイム
政府からたんまり稼がせて戴いたが、われわれの政府に於ては外國人がゐない、す
なわち、國外と云ふものがないのである。
われわれは行政官の腐敗と支配者の怠慢に乘じて、ゴイ政府には少しも必要でない
金を貸して、其の二倍、三倍、更に數倍をわれわれの金庫に收めた。いつ度い誰が
われわれをそんなにして呉れたのか?……其處で、私は内國債に就いて詳しくお話し
しようと思ふ。
政府が政府の爲替手形すなはち利附き債劵の贖入者を公募したとする。額面は小口
大口いろいろ設けられ、早くから申し込んだ豫約者には額面よりも割引いた金額で賣
る。が、翌日に成ると、小細工を弄して、何しろ贖入者が殺到したので、と云ふ口實
で値上げする。數日後に大藏省の金庫はあふれん許りで、豫定額をはるかに超過し
たと言ふ(其れなら、何故國債を發行したのか?)。 豫約額は債劵發行額の數倍にも
達したと發表される??國債に對する信用を示さうと云ふのである。
こんな芝居は芝居ですむが、新たに發生した債務をどうするのかと云ふ問題が起こ
る。途方もない額の債務が生じたのである。利子を拂ふには、其の財源に新たな債劵
を發行する必要がある。新たな債劵は元利を清算するのではなく、ただ單に新たな債
務を上乘せするだけである。政府の國債發行の限度を超えたら、新しい課税で取り立
てる必要が生じる。其れも國債整理のためではなく、ひたすら利拂ひのためである。
新税はひたすら借金のための借金と成る……
其のうち債劵書替えの時期がやつてくる。だが、此れとても利率を下げる事はで
きても、債務をなくなしてしまふわけではない。其れだけではなく、債權者の同意が
なくては書替えは出來ない。書替えにあたつては、同意しない人々には金を返濟する
と公告する。若しも誰も彼もが、書替えは嫌だ、金を返せと言つたら、支拂ひ不能に
陷る事は火を見るよりも明らかであり、政府は自ら墓穴を掘つた事に成る。幸ひ
にもゴイ政府の臣民は經濟のことはとんと事情にうといから、金を新しい事業に投資
して利が落ちるよりも書替えで利が薄くなる方がまだましだと思つて同意する。かく
して臣民は數百萬と云ふ政府の債務を穴埋めする事に協力してやる。
今日では、ゴイムと云へども外債でこんな芝居を打つことは、ごまかしが利かない
ことが判つてきた。われわれが全額拂戻しを請求する事が判つたからである。
此のやうにして明らかな破産倒産状態が生じ、人民の利益と支配者の其れとは一片
も共通する所がない事が明々白々と成つた。
今お話した事、此れからお話する事には格別の留意を拂つていただき度いので
あるが、内債は今日では所謂短期公債、すなはち、多かれ少なかれ期間の短いも
のに整理されてゐると云ふ點である。此れらの借金は貯蓄銀行に收納され資金として
確保される。政府は此の資金を外債の利子支拂ひに當て雲霧消散させてしまひ、其の
穴埋めに同額の公債を當ててゐるのである。
ゴイムの國庫からの資金漏出をとり敢へず穴埋めしてゐるのは、實に此れらの短期
國債なのである。
われわれが世界の王坐に昇る時は、われわれの利益に反するかかる財政上の窮策を
痕跡も殘さず一掃し、併せて金融市場をすべて廢止する。われわれの權威は價格變動
に左右されるべきではないから、價格上昇も下落も出來ないやうに、法令をもつて價
格と云ふものを固定してしまふ。(價格を吊り上げるのは落とすためであり、實にこ
の方法によつてわれわれはゴイムとの關係の初期にかれらを弄んだのである)。
われわれは金融市場に代へるに政府による大規模な國立信用取引所を設ける。其の
目的は、政府の意圖する通りに産業生産物の價格を設定する事にある。此の組織は
一日に五億の産業證劵を出してやり、また同額を買ひ取る事が出來る。此の方法に
より全事業がわれわれに從屬するやうに成る。此のことが如何なる力をわれわれに與
えるか、諸氏は御自分で想像していただき度い。
參照
資料1:プロトコール(シオン長老の議定書)
http://www.asyura2.com/data001.htm