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“議論の技術論と方法論とマナーなどを考察する”ってえことだが、“K”さんの“考察”のレベルがよく理解できる内容で実に有益だぜ。しかし、ここが雑談板だってえことにも留意して頂きたかったなあ。まあ、そりゃあともかくとして、有り難く勉強させて頂こうか。
“Kも充分に未熟なので、試行錯誤を繰り返している「議論の仕方」なので、大きな事は書けないのだが、Kが過去に行った議論での中でいくつかの経験則から思った事などを少し書いて考察しておきたい。”
毎度謙虚な物言いにはつくづく感心致しておりやすぜ。けどよ、物事にゃ限度ってこともあるって言うぜ。謙虚も度が過ぎると嫌味に聞こえちまうってのも本当じゃねえかなあ。
“議論には「反論」が付き物だと思うが、この辺には一定のマナーがあるだろう。”
最初に“マナー”とおいでなさったとこ見ると、どうやらこいつが主要テーマらしいなあ。育ちの悪いオイラにゃどうやら耳の痛え話になりそうだ。
“「反論」と「論破」は厳密には別のものなのかもしれない。
「提示された意見に同意できないという意見」=「反論」
「提示された意見のコア(核心的部分)の間違いの指摘」=「論破」
と、Kは考えるが、ここで問題なのは
「提示された意見のコアではない部分の不備などの指摘」で「論破」したと思う勘違いだろう。”
チョイト待ってくんねえかなあ。「反論」ってなあ、単に“同意できない”んじゃねえで明確に反対ってこっちゃねえのかい。確かに、反対ってなあ“同意できない”に含まれはするだろうが、逆に“同意できない”ってなあ、反対ではないが賛成でもないなんてのも含むんだろ。“同意できない”ってのを全て「反論」にしちまうのはどうなんだろう。
いや、もしかしたら“K”さんは、ここじゃあ話しを簡単にするため賛成か反対かの二つに一つってえ形で説明していなさるのかも知れねえな。そうだとすりゃあ余計なチャチャは入れずに先を伺わなきゃいけねえってことか。
なるほど、すぐあとに書いてあるぜ。“「提示された意見のコアではない部分の不備などの指摘」で「論破」したと思う勘違い”ってな。“「提示された意見のコア(核心的部分)の間違いの指摘」”でなきゃいけねえんだ。つまりは、“提示された意見のコア(核心的部分)”を読み取ることが必要ってこったなあ。その上で、読み取った“コア(核心的部分)の間違いの指摘”をすりゃあ“「論破」”したことになるってわけだ。簡単に言やあ、細けえことにあれこれケチつけんじゃねえってことかな。じゃあ、その心構えで先に行かしてもらうぜ。
“「反論」>「論破」という事であるが「論破」は「反論」の一つの形式だろう。
「反論」の手法としては大まかに分けて「対抗論」「不備の指摘」「間違いの指摘(コア部分なら論破)」「イメージによる誘導」と云った技術論が考えられる。”
いやー、どうしてどうして、ナカナカ難しいお話になりそうだぜ。
“「対抗論」というのは「Aという結論に達するに比べ、Bという結論の方が良いのでは?」というような「より効果的な方法論の提示」が基本である。”
ん〜。頭の悪いオイラにゃイマイチ分かり難いんだが。“方法論の提示”ってんだから、推論のプロセスに於ける異なる道筋・展開の提案ってとこかな。
“「不備の指摘」とは「個人的な思い込み・視点の見落とし」などの「結論に至る、材料の分析とか、状況把握」への問題提起である。”
ここは何となく分かるような気がするぜ。
“「間違いの指摘」とは「採用されたデータとか、結論に至る過程もしくは結論部で明らかなミス等がある場合の指摘」である。”
ん〜。すぐ前の「不備の指摘」とどう違うのかなあ。データとかミスとかいう言葉からすれば、客観的に指摘できる間違いってことのように聞こえるなあ。指摘された方も直ちに認めざるを得ないようなもののことかな。とすると「不備の指摘」の方はあくまでも“問題提起”であって、議論の余地が残るようなものってことだな。なるほどなるほど。
“現実には「反論」にはこれらの複合や「これ以外に分類される場合」もあるのだろうが、基本的には「提示された意見への疑問・不備」であるのだろう。”
相変わらず慎重な配慮が行き届いていらっしゃるなあ。“「これ以外に分類される場合」もあるのだろうが”と来たぜ。結局、分類そのものにてえした意味はねえんだろうな。“基本的には「提示された意見への疑問・不備」である”ってことが肝心みてえだからなあ。ホントに言いてえ事はこっから始まるようだぜ。
“ただし「技術論(ディベート技術)」と云う意味では「イメージによる誘導」という物が出てくる。これは大別して「意見そのもの」か「意見提示者」もしくは「意見の根拠材料(人物か意見)」に対して「意見の本質ではなく、意見もしくは人物に対しイメージ形成もしくは、既に存在するイメージを利用する事によって、意見の価値観を失わせる」という「勝つための技術」という部分が大きいだろう。”
「イメージによる誘導」が“意見の価値観を失わせる”「勝つための技術」として悪用されると仰りたいんだろうな。
“反論は「論理考証」によって形成されるべきなのだろうが、イメージによって「結論の誘導を行う」という事は「議論においては最大のマナー違反」なのかもしれない。”
やっぱりマナーだったぜ。「論理考証」の方は気の利いた前置きだったみてえだな。いちいちまともに付き合ったオイラが間抜けだったってこった。“K”の旦那は、誰かのマナー違反に憤っていなさるようだぜ。
“「浅学非才のアホ」であっても「人格に多少の問題」があっても、仮に「犯罪者」であっても、その事だけで「意見」が間違っている事の立証にはならないだろう。”
仰るとおりだぜ。誰でえ!つまらねえ事を言いやがったなあ。オレっちが許さねえぞ。
“また、イメージ的な常識(物理的な摂理法則などは除き)に反する事だからという理由だけで「間違っている」と決め付けるのも間違いを招く可能性がある。”
一々ごもっともよ。“イメージ的な常識”に凝り固まってる野郎が多くて困るぜ。
“仮説と結論部は「できるだけイメージと根拠の希薄な主観を排除した視点」で判断する必要があるだろう。”
見事なお説じゃねえか。オイ、見習わなくっちゃいけねえよ。
“例えば「国家破産はない」と云う意見なら「大多数の国民が納得しパニックにならない」だけの「説得力のある意見提示が必要」という事も忘れてはいけない。”
もちろんここは、「国家破産はある」の間違いよ。しかし、そんな細けえことをとやかく言ってる場合じゃねえ。“提示された意見のコア(核心的部分)”が肝心ってことよ。
“「一部の思考レベルに達している人だけには理解できる論理の提示」では駄目なのである。”
みんなに分かるように言えって仰ってんだよ。
“実際に「世論形成をして、社会・世間で活動しているのは、思考レベルが一定レベルに達していない人も多い」のだろう。”
どうだい。オメエのことを心配して下さってんだぞ。
“仮に人口比で一定以上の人が「パニックに陥り、国債や貯蓄の取り付け騒ぎ」になれば「国家破産」は起こるだろう。”
国債に取り付け騒ぎはないんじゃねえかとか、銀行の破産と国家破産は違うだろうなんてゴタクはいらねえんだ!
“「Kすらも説得できない理論を語り、それが理解できないのは、Kの人間性の所為」として充分なのは「Kが人並みはずれて馬鹿」の場合だけである。
そんな点も考慮する必要はあるのではないだろうか?”
「Kが人並みはずれて馬鹿」の場合をちゃんと考慮しなきゃダメじゃねえか。
“相手に気付きを求めるための「過激表現」は許される場合もあるが、本人にではなく「観客者のイメージを形成するための過激表現」は反則と云えるだろう。後者は「誹謗中傷」の類に分類されるが、前者は「相手に向けられたアドバイス」と云う意味合いもあるのだろう。
同じ表現に見える事によって、一緒くたに評価するのは「間違い」なのかもしれない。”
「相手に向けられたアドバイス」ならいいんだ。分かったか。
“まあ、この辺も「分析レベル」の普遍化という問題とのバランスと云う部分もあり一概には論じられないのだろうが「規定化」すると危険だろう。
「思考停止」という表現を禁止(差別表現と認定)する事は必ずしも「正しい」とは言い切れないという部分である。”
「正しい」とは言い切れないということばっかりで苦労するぜ。
“まあ、色々と難しいのだろうなと思う。”
まったく、難しいお方だ。