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(回答先: 思想、良心の自由 についての作文 投稿者 まとはずれのおせっかい 日時 2006 年 10 月 02 日 03:17:03)
東京音頭さん、如往さんどうもです、
わたしは、現在のアメリカの、イギリスの、個々の政治過程における人権を、言及したのでなく、人類が、多年にわたって血を流して、獲得してきた基本的人権の観点から見た、良心、思想の自由、民主主義という語彙を使ったつもりです。
ブッシュ氏、ライス女史ですら、この理念を(言葉だけだろうけど)認めているということです。
その理念が現実の政治にどう運用されているかは言及をさけるけど、それらが、血肉化している国、国民ってのはあるとおもう。
フランスのデモの報道を見ても、「自分の利益(権利)を守ることを」知っている頼もしさがある。日本では、生きるためにするはずの仕事で、死んでしまう人がいる(過労死)のだから。
それは、政治的に差別されたマイノリティではなく、一般国民ですよ。
菜食主義者の例を挙げたのは、
集団の意思が、個人の意思より優先するということが当然の国で、狭いキャビンのなか、菜食の人の座席に印をつけて、ひとつだけ別のものを用意し、それを運ぶことに、食堂のメニューに、肉嫌いのひとのために、サラダが用意されていること以上の意味を感じたということです。
お書きになられたように基本的人権なりの思想には、それらの恩恵にこうむれない人たちがあり、それらを無視されている人たちがいるということは認めます。
しかし日本の場合は、マジョリテイの人たちですら、それらを享受できないのが現実なのではないでしょうか。
蛇足ですけど、東京音頭さんが、懐疑されるような西欧民主主義を、ブルジョア民主主義であると罵倒されていた時代がありました、またブームが起こるかもしれません。
私は、西欧民主主義が絶対といっているのではありません、しかし、その理想の多くに人間存在に内在する普遍的な価値を見いだすということです、人の「重さ」かな。
年三万人の自殺者、国道上に無数に掛けられた歩道橋に、この国の人の「軽さ」を見る思いがします。
昔の日本に、安心立命(?)を、もとめるひともいますが、如往さん同様
私もその立場をとりません。
今、ホームレスの人たちがいますよね。
明治維新の前後、時代が激しく動いたとき、村の貧民は、「伊勢参り」といって、村を出て行ったそうです。実際は、乞食をしながら、野垂れ死にで、せいぜい無縁仏になったことかと思います。
東北あたりで、凶作になると、一家離散、娘はうまくいけば、東京で女中に、運が悪いと、女郎になるというのは、遠い昔の話ではありません。
落語や映画に出てくるような、村長、庄屋を長とした、不文律の相互扶助システムなぞ、まるで機能しなかったということです。
それは、今のリストラにも見られる光景です。
何から何まで、文章化、署名して、権利、義務をを確認する、不満があれば訴訟を起こす社会を理想とは思いませんが、
しかし、日本人の場合、基本的人権の思想をよりどころに、自分を守る術を知らないと、ますます生きずらくなるだろうということです。