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>驕れる白人と闘うための日本近代史 (単行本)
>松原 久子 (著), 田中 敏 (翻訳)
↑このようなタイトルの本は30年前にローデシアか南アフリカかオーストラリアに英語で出すべきであった。今ではこのようなタイトルは有色人種に対しても突きつけねば、白人にだけ突きつけた場合は反動的なものとなるだろう。明治時代の条約改正前に出すなら歴史的意義もあるが、今日出した所で石原のような驕れる日本人のどうしようもない増長を招くだけで何の進歩的意義もない。今日では有害無益なタイトルである。
「嫌韓流」などの韓国批判本は韓国語で、「厄介な隣人中国」などの中国批判本は中国語で出版すべきだ。さもなくば意味はないだろう。
厚かましい過去への開き直りと自己肯定は見苦しいだけである。しかし、「驕れるユダヤ人と闘うための日本近代史」なるものをイスラエルでヘブライ語で出版すれば応援したい。いつどこでどの言語で出すのかも大事だ。今日本人に必要なのは、日本を主観を排して俯瞰的に見た批評である。それは日本以外の国の批評についても言えることだが。
戦後、日本には情緒的な反戦論と愛国論が闘争するだけで、山本七平氏のような俯瞰的な日本論があまりにも欠落していた。戦後の左翼は戦前と比べてあまりにも情緒優先的であり、戦後の右翼は戦前と比べてあまりにも一国主義で国際変革戦略がない。戦後思想家は戦前と比べて見あまりにも劣りがするではないか。戦前右翼民族主義者と言えば、アジアの解放を真面目に考えていた人々が多い。独立後もアジアの人々は苦しんでいる。戦前の右翼民族主義者には共苦の思想があった。戦後右翼は戦前の右翼の実践を誇らしげに語るだけで、今現在のアジアは解放されたことが前提となっている。今、現在のアジアの苦悩が全然見えてない。過去のアジア解放思想の人々の実践は引き継がねばならないのに、いつの間にか欧米からの名目的独立を持ってことたれりとする一国主義になったのは何故か?いつの間に日本の思想は日本一国を誇るだけの引きこもりの思想になってしまったのか?
あの「アギナルド君、立とう!」と言った、あの孫文と共に立ち上り行動を共にした日本民族主義というのは何処へ行ったのか?日本人はアジア諸国が独立すればそれで本当に全てが解決すると思っていたのか?今の日本の民族主義者は何故今のアジアを見ないんだ?左翼の方ではインドに行って社会主義に目覚めた者もいる。あの明治時代の優しい連帯のこころは何処へ行ったんだ?戦後日本は明治と完全に断絶してしまっている。民権運動の革命輸出戦略の挫折があっても、日本以外の国の状況も常に意識し続けた明治の民族主義者達。今の驕り高ぶった石原とは何と大きな違いであることか!