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「長いツリーが出来ることは悪いこと」なのかな?という疑問がある。
まあ、色々な価値観があるので、確かに「見た目に悪い」という部分もあるし、大抵は「違い価値観の醜い争いのようなレスの応酬」なので、第3者からすれば読んでいて気分の良い物ではない確率も高いだろう。
しかし、物事を突き詰めるなら長いツリーは仕方がないという部分もある。
それとも、阿修羅では「物事を突き詰めて議論するのはご法度」なのだろうか?
陰謀論は陰謀史観系の掲示板と評価されている阿修羅では「反体制者の証」として、必要以上に評価されているという部分があるとKは思っている。
「真実の究明」と「陰謀論の支持」は異なるという事は、少し考察力があれば分かると思うのだが、阿修羅においては若干価値観が異なっている。なぜなら「陰謀論を支持する事」が、政府を追い詰めるのに有効だという価値観が一種の共通意識的な承認事項となっているのだろうと思う。
9.11事件においては「公式発表にはおかしな点が多々ある」これは確かである。
だから、Kとすれば「真実の究明」には異論はない。
究明の末を想像してみると
1 陰謀論は正しかった。
2 陰謀論は間違っていた。
の、どちらかになるのだろうが、多分だが、決着は付かないのだろう。
仮に陰謀論が正しいとして、危険な一線を越えた場合は「弾圧」が予想される。体制が「体制が崩壊するのを黙って見ている」とは思えないので、体制の維持に致命傷となるような陰謀論があるのなら、どんな手段を講じても阻止するだろう。
仮に陰謀論が間違っているとして、どうしたら、それを理解させることができるのか?
多分は「何をしても徒労に終わる」のだろう。
どんなに論理的に説明しても、陰謀論支持者の「疑心暗鬼」は落とすことの出来ない憑き物として残ってしまうのだろう。
なぜかと言えば「政府への不信感と、先入観によって形成されてしまった予断」があるからだろう。元々が公平な視点ではないのである。
様々な疑問点が陰謀論支持者から提出されている。
しかし、その多くは「分解 『911 ボーイングを捜せ』」
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/911/index2.html
で、正解かどうかは別にして、一応の説明がされている。
ここは、価値観の個人差がある部分であるが、Kの考えでは「どちらが、論理的かと言えば、陰謀論否定派の方が論理的な部分が多い」という気がする。
ただ、これはKの主観であって、本来、個人の判断は「双方を読み比べて、個々の人が自分で行う」のが正解だろうと思う。
少なくともKが行えるのは「Kとしての判断」だけであり、その上で「Kの思うことを主張するくらい」で、自分の判断を書くことくらいである。
ここで問題なのは
「自分に都合の悪いこと」には「最初から拒否反応を示す」と言うことである。
第3者の判断は「賛成・反対の双方の意見を読んでもらった上」で、その人に任せるのが正解なのだろうとKは思う。
基本的には、参考として、第3者の判断に役に立つと思われる意見を書くのは自由であるだろう。
その段階で「意見が付けられることがある」
これは、誰かが意見を書いた場合には当然生ずるリスクである。
反論を受け入れないのなら、意見を書く事もしてはいけないのだろう。
その際には「議論」になる訳だが、論破するべき論点が示されているかどうか?
が、論理的かどうか?の基準なのだろうと思う。
「そんな意見は書くべきではない」は良いとして「間違っていると思われる点の論拠も示さず」に相手の投稿を批判するのは、論理的思考能力が欠如しているか、卑怯者か、身勝手な事だろう。
ただし「元になった投稿(仮に対象となる投稿が、レスとして書かれたものであっても)」が、阿修羅(場)にとって、マイナスとなる要因が多い場合は、例外的に「レスした事への批判だけ」であっても許される場合もあるだろう。
ここの部分の判断はかなり微妙だろうが
例えば「陰謀論に否定的な人はレスをするのは駄目」的な意見で批判するのは論外でだろうと思う。
どちらかに贔屓があるか、公平ではない意見を書くのなら、少なくとも自分の意見と、駄目な理由の根拠を提示する必要があるだろう。
ただ、人間は誰でも多少は身勝手であり、自分の都合の良い様に「物事を解釈しよう」という部分がある。
ここで、問題になるのは「自分を省みる」という立ち止まった思考ができるかどうか?
である。相手の評価などを理由にすれば「色々な理由付けは可能」なのだろうが、それは自分の主観に基づいて作り出された「屁理屈」であっても、自分では気づき辛い、人間は「自分には甘い動物であり、自分自身を誤魔化すという動物である」から、知らず知らずの内に「公平な視点」はぶれていく事もある。
そうなると、相手の言葉を理解しようと思わないという思考停止状態になる可能性が高くなる。
こうなると「相手の意見は全て誤魔化しの、全くの価値のない意見」となってしまうので、対話そのものに拒否反応が出てくる。
両論を合わせ読んで判断するのが「真実への近道」という原則も何もなくなり
主観に囚われて「相手に悪意がある」と思い出したら、憑き物付きである。
思考停止者は自分を省みない。省みなくなったら思考停止者であろう。