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現在、自然科学と社会科学は分離されているが、歴史というのは人類以前から連続しているのだ。日本人の先祖だけでなく、地球があって、脊椎動物魚類の誕生があって、哺乳類の、霊長類の誕生があっての人類である。神社の自然の捉え方にもそういう観点も必要ではないか。今、巷で先祖といえば、間違いなくほとんどが人類の中の日本人だけを指すはずだ。人間の行動を解明するには、他の霊長類を含む動物の闘争本能なども考えねばならないだろう。
海の上に国境があると考えるのは地球の生物の中で人類だけである。海にも陸にも実際には肉眼で国境線を見ることはほとんどはできないのだ。
汚染物質が大気や海流で流れてきても、日本と中国の国境線で阻止できる訳ではない。また、現在では国境を越える企業活動が活発であり、一国の経済危機が連鎖的な他国の経済危機を引き起こす可能性があるのである。このような中で徒らに自国の国益ばかりを主張し、国防の重要性をがなり立てる連中が世界各地で台頭しているが、世界の労働条件・人権侵害・環境破壊・武器輸出・軍拡がこのままの状態でいけば破滅的な状況になっていくだろう。こんな時代の天災は最後の一押しでしかないかも知れない。
有権者が政治家を見る場合に独善的で偏狭な政治家か、全体を見る目があるか確認せねばならないだろう。
ゾフィーは処刑された。ルワンダ・ユーゴ内戦は阻止できなかった。しかし、戦争や内戦と自然環境の変化・人口増との因果関係明らかにされなければならない。我々は今知らず知らずの内に共食いをするよう仕向けられているのかも知れない。
かつての世界大戦の尊い犠牲の上に今日の日本の繁栄があるならば、我々はまたしても未来の世代の踏み台として犠牲者になる可能性があることを否定できないだろう?未来の世代のために我々の少ない部分が餓死・戦死させられ、間引きをさせられる可能性を考えねばならないだろう。