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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu126.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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昭和21年にいわゆる「人間宣言」がなされたが、戦後日本人にとっても、
「人間宣言」があろうがなかろうが、昭和天皇は天皇であった。
2006年8月29日 火曜日
◆昭和天皇の姿を描いた映画「太陽」拡大上映へ 8月15日 ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_08/g2006081503.html
終戦前後の昭和天皇の姿を描いた映画「太陽」(東京と名古屋の計2館で5日公開)が連日立ち見客が出るなど予想以上のヒットとなり、配給会社は14日までに、35館を追加して拡大上映することを決めた。
東京都中央区の銀座シネパトスでは、初日および公開後1週間の動員・興行収入の記録を更新。全回立ち見が続いている。名古屋市のシネマスコーレでも客足は順調という。
19日から川崎チネチッタ(川崎市)、吉祥寺バウスシアター(東京都武蔵野市)で公開されるのをはじめ、全国で順次上映される。
◆映画『太陽』を観ました 8月13日 深夜のNEWS
http://night-news.moe-nifty.com/blog/2006/08/post_dd40.html
自分にとっての昭和天皇のイメージが根本的に変わったのは、アメリカの歴史学者ハーバート・ビックスの『昭和天皇』を読んでからである。僕はこの本をアマゾンで注文して入手していたのであるが、なにしろ分厚い本なので、そのまま読まずにいたら、やがて日本語訳本が出たのでこちらの方を読んだ。読みながらも、その内容に偏りが感じられる箇所がいくつかあった。偏って解釈することはできないだろうと思うことがしばしばあった。ワタシがそう思うくらいなのだから、この内容たるや、そうとうバイアスがある見方をしていると思っていいだろう。
しかしながら、その一方で、昭和天皇が生まれた時から、昭和の終わりに至るまで、その全体的な構図の中で考察していることについて。そして、これまでの日本の歴史書では触れることがなかった資料の存在などについて学ぶことが多い本であった。戦争中は軍部の行動に疑念を感じながらも、大元帥として軍の作戦企画に関わりながら大東亜戦争の遂行と勝利を願い、戦後は自己の保身を願っていたというビックスの意見は、「結果としてそう見える」というだけのことであると考える。この本は、天皇を象徴としての「神」ではなく、人間としての昭和天皇の存在を教えてくれたものであった。
ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の映画『太陽』を観る前に考えたことは、このハーバート・ビックスの『昭和天皇』と、もうひとつ、ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画『ラストエンペラー』であった。満州国の皇帝であり、中国最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀の生涯をあつかったこの映画では、溥儀は皇帝の家系に生まれ、大日本帝国の傀儡ではあるが満州国の皇帝として君臨し、最後は庶民の暮らしの中で住む老人であった。昭和天皇もまた、天皇の家系に生まれ、皇太子、摂政そして天皇となり、敗戦後も最後まで天皇であり続けた。溥儀は、中国共産党によって皇帝の座から引きずり下ろされた。昭和天皇は、法廷に立つことをGHQによって免れた。昭和21年にいわゆる「人間宣言」がなされたが、戦後日本人にとっても、「人間宣言」があろうがなかろうが、昭和天皇は天皇であった。
映画『太陽』は歴史ドキュメンタリーでもなければ、いわゆる歴史映画でもない。昭和天皇の私的な視点からの文芸作品である。大東亜戦争戦争の終結からマッカーサーとの会談までの閉鎖された数日間だけを扱っている。歴史娯楽大作であるベルトリッチの『ラストエンペラー』とはまったく別のものであった。この映画にはハーバート・ビックスのような、ひたすら昭和天皇の戦争責任を立証しようとする姿勢はない。この映画では、ヒトラーのように自殺することなく、マッカーサーと会見し、「どのような決定にも従う」と言ったことに昭和天皇の責任の取り方を表現している。これ以外に、どのような責任の取り方があったのであろうか。
イッセー尾形が演じる昭和天皇は、口もぐも含めて、1970年代以後の昭和の天皇のテレビ映像からきているのだろうと思う。終戦直後のニュース映像で観る40歳代後半の昭和天皇とは違う感じがする。しかし、今の平成日本人の大多数の記憶にある昭和天皇は、40歳代の天皇ではなく、70歳代の昭和天皇なのだろう。その意味で違和感はない。
映画の中で、書斎で科学者と会話するシーンがあって(このシーンの椅子の譲り合いのアドリブ・コント?がおもしろい。侍従長を演じる佐野史郎が堪えらきれずに笑っているのがわかる)(このシーンをリテイクせず、そのまま使っちゃう監督がいいですね)、この時の天皇の話し方を聴いて、ああそういえば昭和天皇はこうした話し方をされる人であったと思い出した。自分の記憶の中でも、昭和天皇ってどういう人だったのかということを忘れていたことに気がつく。歴史の知識としての昭和天皇については、それなりに知っているのだが、テレビで見た人としての昭和天皇については、ほどんど覚えていないのである。
GHQから箱詰めのハーシーズ・チョコレートが送られてくるシーンでは、昭和天皇というよりもイッセー尾形のコントであった。こうした笑えるシーンがあるのは、外国の映画監督の文芸映画作品であるからであろう。日本人の映画監督であれば、こうしたシーンはできないだろうなと思う。ちなみに、天皇は書斎の机の上にリンカーンとダーウィンとナポレオンの胸像を飾っていたが、敗戦後、ナポレオンの胸像だけを隠すシーンがあって、これは鬼塚英昭の『天皇ロザリオ』にも書いてあった。どうやら事実らしい。この映画は、全体としてフィクションの文芸作品なのであるが、みょーなところは史実に忠実なのである。
天皇がGHQのカメラマンからチャーリーと呼ばれ、天皇自身も帽子をとってチャップリンのようなポーズをとるシーンがある。このシーンで劇場の中では笑う声が聞こえたが、僕には笑えなかった。ああ、この人(この人と言っては不敬だな)は勝者であるアメリカが「チャーリー」と呼ぶのならば、チャップリンのマネをしようとされるのだな、そう決意したんだなと思った。その決意たるや、いかに重いものであっただろうか。
60年前の戦争での敗北は、日本人にとって徹底的な敗北であった。原子爆弾を2回も落とされ、国土は荒廃し、総力戦的にも敗北し、科学技術にも敗北し、精神的にも敗北であった。占領下の日本では、すべての物事が日本人で決めることができず、GHQの指令に従うより他になかった。天皇ですら、裁判の場で処刑されるかもしれなかったのである。特に、外国の世論は、天皇を裁判の場に送ることを要望していた。この時期の天皇がなにを考え、なにを語ったのかということについては、今なお解明されていない。昭和天皇の日記は公開されていない。
この映画のオフィシャルブックを読むと、ソクーロフ監督はこの映画の制作にあたって、数多くの日本の歴史学者にコンタクトをとったようなのであるが、協力を断る人が多かったようだ。この映画のパンフレットにもオフィシャルブックにも、歴史学者の文章が載っていない。歴史学の観点からすれば、資料が公開されていない以上なにも言うことができないということなのであろうか。しかし、そうであるのならば、そうした困難な資料の状況の中で研究を進めるアメリカの歴史学者はどうなのであろうか。
もうひとつ感じたのは、今のロシアでの文芸やアートの力強さである。こうした映画が、日本で今できないのはなぜなのか。資料がないからワカリマセンというのは、学者ならばそれでいいのかもしれない。しかし、一人の人間としての昭和天皇の個としての内面を「イマジネーションする」文芸やアートや思想の力が、今の日本はあまりにも貧困化し枯渇している。
それにしても銀座シネパトスで見たわけであるが、アノ音は地下壕のシーンでの効果音だと最初から最後まで思っていたのだけど、あれはなんと本当のあれだったわけですね・・・・・。
(私のコメント)
昭和天皇を描いた「太陽」というロシア映画は4月1日にも株式日記で書きましたが、この夏に日本でも公開されています。新聞記事にもあるようにかなりの大ヒットになり全国各地で拡大上映がなされるようだ。昭和天皇が亡くなられて18年も経つのだから歴史的評価を下す日本人の学者や文化人もいてもいいと思うのですが、いまだに天皇は畏れ多い存在なのだろう。
私はまだこの映画は見ていないのですが、製作中から話題になり映画祭の賞なども取った作品なのに今まで公開されずに来たと言うのはどういう原因があったのだろうか? 夏になると終戦日記念として戦争を扱った映画もよく上映されますが、お涙ちょうだいてきな映画が多い。「男たちの大和」もそうだった。
テレビなどの討論を聞いていても、60年以上も昔の事なのに冷静な議論ができないと言うのはどういうことなのだろう。戦争体験者なら分かりますが戦後生まれの人たちも冷静な議論が出来ない。だから学校などの歴史教育などでも先生達は触れたがらないし生徒達は大東亜戦争のことをほとんど知らない。
歴史教科書なども書き換えるだけでも中国や韓国などが大騒ぎをするし、つくる会の教科書を巡っては教育委員会で大騒ぎになる。大東亜戦争や天皇の戦争責任については、もはや歴史学者の扱うべき範疇に入っていると思うのですが、それすらも日本ではなかなか出来ない。戦没者を慰霊することすら総理がしようとすると大騒ぎになるのはどうしてなのだろう?
大東亜戦争は日本が始めた戦争だから日本がもっと外交努力をすれば避けられた戦争だと思うのですが、頭の固い軍事官僚が日中戦争の泥沼化の責任を回避しようとアメリカとの全面戦争に踏み切ってしまった。日本国民も日本は神国だからという作り話を信じて安易に戦争を支持した。当時の日本国民はアメリカがどのような国かほとんど知らなかった。知っていたら戦争にはならなかったはずだ。
戦前、戦中の天皇は日本人にとっては神であり、だからこそ神国なのですが、天皇が人間宣言をされて60年も経つのにいまだに天皇の存在は神に近いものであり、富田メモ一つとっても天皇の発言の意味は大変重く受け止められている。政治の世界でもいまだに天皇の御内意がまかり通っていて、皇室典範の改正でも天皇の御内意と言うデマを振りまいている自民党幹事長がいた。
このような状況では天皇陛下ご自身も贔屓の大相撲の関取の名前すらいえない状況となり、戦後の人間宣言後も国民によって神格化され続けた。このような状況では「太陽」というような映画は日本で作ることは無理であり、公開することすらままならない状況だった。このような状況はいったい何処に原因があるのだろうか? 宮内庁が手を回しているのだろうか? マスコミがそうしているのか? 一部の狂信的右翼が活動しているからなのか?
戦後は盛んに開かれた皇室を目指せと言われていましたが、最近は菊のカーテンは高くなる一方であり、それに対して皇室のかたがたは自由な発言も出来なくなってきている。国民に与える影響が大きいからですが、だから宮内庁が壁を作ってしまっている。皇室にとっても大変息苦しい状況に置かれて、雅子妃のうつ病などにも影響がでてきてしまう。
「太陽」と言う映画を作った監督によれば、いろいろな専門家に当たろうとしたが学者や専門家からの協力は得られなかったようだ。ヒトラーやムッソリーニやスターリンやチャーチルやルーズベルトに並ぶ歴史的人物なのにもかかわらず、その発言や行動が菊のカーテンに遮られて研究がなかなか進まない。だから富田メモのような材料に日本中が右往左往してしまうのですが、マッカーサーとの会見もいまだに未公開のままであり、公開できないような内容の会見だったのだろうか?
この映画は、ほとんどがフィクションなのですが、実物の天皇自身が謎の存在であるから、ロシアの監督としても想像を膨らませて作るしかない。むしろ天皇を演じたイッセー尾形のコミカルな演技が面白そうなのですが、歴史上の人物になりつつある天皇の人物像をどのように描こうと自由なのですが、大東亜戦争の敗北の衝撃がいまだに日本人の冷静さを失わせている。
本来ならば神道を司る宗家としての天皇家であるべきなのでしょうが、国家としての一機関として天皇が位置づけられているために、天皇や皇太子に大変過重な負担を強いる結果となり、このままでは自らの負担に押しつぶされてしまうだろう。ところが議論として、これからの天皇制はどのようにして行くべきかの議論がなされず、泥縄的に皇室典範の改正が図られた。むしろ憲法改正も含めて議論されるべきなのですが、ブログなど見ても共産党を除けばはっきりとした意見は少ない。