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ノーベル賞作家、ギュンターグラス氏の過去が話題になっている。
これらの記事を漁りながら、
自分は、「橋」というドイツ映画を思い出した。
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長くなるので、ストーリーは文末に書いておく。
いろいろ書かれているので、多くは書かない。
15歳の少年の決断の過ちを責めるのは酷であることは言うまでもない。
それに、初期の親衛隊の隊員と戦争末期のそれでは、その「質」がちがう。
志願ではなく、末期では、召集された少年ですら、強制的に親衛隊に割り当てられたようだ。
自分は、グラス氏「自身」と、メディアを通じて創られる、「ドイツの良心」、「ノーベル文学賞受賞作家」、ギュンターグラス、「かけ離れてしまった」、二つの像の、その本人自身による「距離の修正」作業ではないのかということを考えた。ちなみに像の一致はありえない。
いずれにせよ、彼の米軍による、捕虜記録が現存している以上、いつかは世に出ることだった。世に「出される」前、彼自ら、その過去を、世に出したということだ。
この事実を、矮小化することなく、衝撃的という形容詞も必要なく、受け止めればいい、自分自身について言えば、グラスと自分との距離が、多少縮ったと思っている。
元独首相コールと元米大統領レーガンが、1985年、ビットブルグの戦没者墓地を訪問したとき、グラスは、あそこは、普通に招集された兵士のみならず、
49の親衛隊員も埋葬されているといって「噛み付いた」。
揶揄するつもりはない、「ドイツの良心」という「虚像」(悪い意味で使っているのではない)が、あるいは、「陽」の部分の彼が、どう「生身」の、あるいは、自身の「陰」の部分を沈黙させたのか興味深い。
人は、意識、無意識のうち、虚像と、実像を使い分けながら、そして、様々な、過去を引きずりながら、生きているのだと思う。君、僕、あなた、私、そして、ギュンターグラスも。
ちなみに、ビットブルグの戦没者墓地の墓石の記録によると、49人の親衛隊員中、32人が25歳以下であるという、中には、享年、17,18,19歳というのもあるらしい。
戦争がなければ、普通の青春を謳歌している少年、青年たちである。
威勢のいい、国権論を吹聴している人たちよ、
青年たちは、あなたの、アジ演説に聞きほれ、戦場に向かう。
その背中を見ながら、あなたは、「俺の責任じゃない、自己責任だよね」とつぶやくのだろうか。
ドイツ映画、「橋」
長くなるが、記憶違いでなければ、こんなストーリーだった。
敗戦色濃き、戦争末期に召集された、15,6の少年たちを、新兵教育している下士官が、お使いに行った町で、ある事件に巻き込まれて、殺されて、彼らのところに、帰ってこない。
彼らは、この下士官を中心にある橋の守備、命令をうけていたのだが、
その教育係は、橋の防御はそこそこ、いずれは、少年たちを、戦死させないように、退却させるハラであった。
待ちぼうけを食らっている少年兵たちのところに、その橋を越えて、前線から、何台ものトラックに乗って、大人のドイツ兵たちが、逃げてくる。
彼らは、アメリカ兵が来るから、「少年」たちに早く逃げろ、と忠告する。
にもかかわらず、ここを離れてはいけないと、教育係から命令されている彼らは、そこにとどまる。
その後、アメリカ兵たちが戦車を先頭にやってくる。
もう後には引けない、橋を守るために、戦闘を開始する。
その橋の防御に当たっているのは、少年兵に過ぎないと気がついた
一人のアメリカ兵士が、勇敢に武器を捨てて、戦闘中の路上に出て、投降ではなく、「うちに帰れ」と、呼びかける。
その兵士を、ある少年兵が、震ながら狙撃してしまう。
その後は、戦闘シーンの連続になる。
双方、多大の損害をこうむる。
戦闘が終わり、生き残った、ただ一人の少年兵が、うちに帰るとつぶやきながら、道をとぼとぼ歩く。そしてその映画は終わる。
僕は、この少年兵たちと、グラス氏が二重写しになった。