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(回答先: 共通する部分と個性の部分 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 8 月 17 日 21:35:18)
「愛国心について」
そのような物は統治者からの私たちへの責任転化のための押しつけの言葉であり
そんな物を私たちに押しつける前に統治者自身が自分の責任を自覚すべき
と言うのがharuさんの意見
国というのは観念的な物であり、愛国心などと言うが、愛などそもそも
人から強制されるべき物ではないと言うのがワヤクチャさんの意見
愛国心の国そのものがあやふやな物で、仮に定義をしても
そんな物は強いて愛せる代物ではなし、愛の対象にならない。
と言うのが私の意見です
三人とも愛国心についてはアプローチは違っていても
日本国政府の押しつけ愛国心については懐疑的でしょう。
これで愛国心については結論が出ました。少なくとも三人には。
したがって、残りは自分なりの思考過程を示すだけです。
これは生き方が違うので当然違ってきます。
運が良ければ相手の琴線に響き、相手の考え方に影響を及ぼすかもしれません。
影響しないかもしれませんがこれは仕方がない。
haruさん、ワヤクチャさんが自分の考え方を述べられていますので
私も自分なりの考え方を書いておきます。
1 共時性について
これについては、有っても良いなと言う立場です。
自分自身については「え〜!」と思うことが有ります。
しかし、だから言って共時性が有るんだと主張する気は有りませんし
そんな物は単なる偶然というと言う人があっても反論はしません。
だけれども、「不思議なことがあるものだな〜」という人が
出てくれば何も言わずにそれは素直に聞けます。
2 家畜人ヤプーについて
ひと頃、小泉を「ポチ」と揶揄することが「流行?」でしたが、一般的には
「小泉ポチ」のイメージとはブッシュに気に入られようとして一生懸命
尻尾を振っている小泉のイメージだったのではないでしょうか。
しかし、私には「家畜人JAP」という考え方が出てから「小泉ポチ」が
単に尻尾を振る犬のイメージからご主人様の意に添う牧羊犬として「家畜人JAP」
を追い回して檻に追い込む姿が重なってきました。
「家畜人JAP]と「小泉ポチ」の役割ががあまりにもはまり役なので驚いた次第です。
更に「家畜人JAP」の鳴き声は何かなと思ったら「めえ〜・めえ〜」=>「米・米」
=>「アメリカ・アメリカ」
と鳴くではないですか。これは、はまりすぎて怖いくらいですな。
ワヤクチャさんが
「人間は自ら家畜になるという傾向も持っていると思いますね」と書いていますが、
人間一般にそうなのでしょうか。ヨーロッパのことはよく知りませんが、
「人間は神の家畜という立場なのでしょうか」私には分かりません。
少なくとも「家畜人ヤプー」の作者は「家畜人JAP」を意識しているわけですから
日本人はそのような傾向が有ると見ていたのでしょう。
私もそのような気がしています。
3 グローバリズムについて
ワヤクチャさんは
「今、現に語られているグローバリズムは資本の国際的活動の事であり世界平和とは
関係がありません。戦争をする事で軍需産業が世界市場で儲けるという
ようなものです。猛獣のような資本の活動の事です」
と書いておられます。
確かにグローバリズムの元々の使われ方は資本の国際活動の事だと思いますが、
しかし、グローバリズムが個々の地域に矛盾を生じさせ、地域を不安定化させて
いるのではないでしょうか。しかも、多くの戦争の元々の原因は理念や宗教
なのではなく、大きな意味での経済活動の対立ではないでしょうか。
更に軍需産業が世界市場に関われば、世界平和と関係がないとは言い切れないと
思いますが。詳しくないので分かりませんが・・・。
4 イマジンについて
申し訳ないのですが、私にはジョンレノンにも「イマジン」にも興味がありません。
「イマジン」を初めて聞いたときもバカに間延びした曲だなぐらいの感想しか
ありませんでした。「お前の音楽的センスが悪いんだ」と言われればそれは
その通りですから受け入れます。
ただ芸人が平和を声高に訴える時に何か「演出臭さ」を感じてしまうのです。
確か「ベッドイン」とかいうのもやっていましたね。
私には普通の人の生の声の平和の方が響きます。
ジョンレノンの「イマジン」よりもharuさんやワヤクチャさんの意見の方が
実があるような気がします。
5 違いを乗り越えて、相手を理解することのついて
お二人ともこれが難しいと言われていますが
本当にそう思います。
私の日常生活の中ですら難しいのですから、偉そうなことは何も言えませんが
「目的は手段を正当化しない」
を判断の基準として細々と暮らしております。