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戦争については、憎しみそのものが作り出されているということを考える必要があるのではないか。
9.11にしても、事件で殺された人の遺族たちは、犯人に対し憎しみを抱く。
その犯人が、自国政府によって犯人に仕立て上げられただけであるとしても、
とにかく犯人が憎い。
怒り、憎しみを、誰かにぶつけずにはいられない。
その気持ちから、戦争を支持し、自分の息子の名を刻んだ爆弾をイラクに投下するよう軍に頼んだりする。
こういう憎しみが、戦争の連鎖を引き起こす。
軍需産業を儲けさせる。
軍需産業とつながっている政府は、国民の怒りや憎しみを作り出しさえすれば、後はそれを追い風に、どこかに対して爆撃する。
そして、爆撃された側は、爆撃した国を憎む。
爆撃された側でも武器への需要が高まる。
武器産業が潤う。
武器産業はどんどんハイテク化に磨きをかける。
それを使ってみたい武器マニアが、戦争をする。
また憎しみが作られる。
こうして、戦争はいつまで経ってもなくならない。
愛するものや大切に思うものが攻撃されたり殺されたりすると、憎しみの情が生まれる。
その憎しみを利用することで、戦争は連鎖的に続いていく。
被害者はいつも、一般大衆。
その一般大衆同士が、憎しみ合う。
軍産複合体はその様子を、安全なところからいつも高笑いして見ているに違いない。
憎しみを持たず、作らず、持ち込ませず。
憎しみの感情は、沸いてくることがあっても、昇華させる。
憎しみの原因を自ら作らない。
憎しみを、政府によって捏造させない。
非核三原則ならぬ、非憎三原則なんてのはどうだろう。