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最近、みんなが他人に厳しくなっている。
全ての事柄で「誰が悪いから」という考え方が主流になってきている。
実を言えば、その考え方こそが「諸悪の根元」なのだろうとKは思っている。
生きていてもつまらない社会になってきている。
Kの友人はこの世を見限って逝ってしまった。
今日を生き抜いても「明日にどんな希望があるのか?」を考えたとき「全く夢も希望もない」と気づいて愕然とする。そんな社会になってしまった。
生き甲斐という物を考えたとき「自分の行動によって他人の笑顔を生み出す事」という項目は大きな項目の一つだろうとKは考えている。
人間は「他人に必要とされている事を生きている糧にして今日を生き抜く」という部分が少なからずあるのだろうと思う。もちろん、個人差はあり、その個人差によって「他人に必要とされない」事を望む人もいるのだろうと思う。
しかし、その生き方には「生きる悦びはない」という部分もあるだろう。
ゲームのような人生に何が見いだせるのだろうか?
人間は個々の存在では「不完全で間違いを犯しやすい生物」である。
その中では、他人の足を引っ張り合うのではなく、他人の幸福を祝福し合うという考え方へ切り替えていく事が必要だろうと思う。
理論武装という言葉がある。左派系の理論家に多い考え方だが、そのような人にこそ、「他人の幸福を許さない」という考え方がこびり付いているという面もある。
内ゲバというのがその証拠の一つであるが「他人の不完全を容認出来ない」という排除思想が結果的に分裂と少数派形成に陥らせる事になる。
理論武装自体は間違ってはいないだろうが、「他人の幸福を祝福する」という考え方を取り入れ「人間は不完全」という考え方を取り入れるだけで、運動は大きく変わるだろうと思う。
「許し合う心」が大切であり、ここを修正しない限り「生きていてつまらない社会」になるのだろうと思っている。