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戦争のない新しい時代を実現する為に。
阿修羅の現在の情況に、感じていること。
以下の文は、批判という類のものかもしれませんか、感じたままをのべます。
言わないと(他の人がどんな気持ちでいるか)気付いてくれない人が多い気が
しますので、前向きな事態に向けてということで一言。
煽動するような激しい論陣を張るのには、誰でも騙され後に続く人もあるよう
ですが、最後に踵を返すような態度には唖然とさせられ対応に追われた事も
ありました。分っていれば問題にもならないが、知らないと大ショックを受けます。
(具体的な内容については指摘するほどに覚えていないがショックだけは
確実に残っているので、大人げないと言われればそれまでですが、今後は
ショックの事態に遭遇しないように、プロジェクトの件でも、始めに参加の
条件があることをハッキリ打ち出しているのはこのような原因あっての事です)
戦争に反対する活動などについても、
議論の為の議論で、実際に変えようとしないのでは、理解の範囲を超えた行い
であり、それは騙しじゃないと言い切れるのでしょうか。それは極左の顔の極右であり、極右の顔の極左ではないかと感じてしまうのは、わたしだけでしょうか?
(全党的な人間なら、どの党の顔も備わっていて当り前ですが、わたしも
極右から極左まで広げれば問題ないでしょうが、それはムリのようですね)
・全党的立場で、極右,日米癒着への戦い(まずは野蛮な地上の戦争を
無くさない事には何も始まらないので、戦争の起きない新時代の実現)
を先ず続行していきますよ。
国民市民への対策を差し置いて、「極右と極左の握手」という傾向の立場に
にある指導的人物は、分析では権威、権力重視の性格であり、政治専門職の
枠の外に適職を開拓した方があらゆる立場にとって、良いように思われます。
国民市民の立場を考えた場合でも、そのほうが双方に幸せと思うからです。
・常識の線を翳して、それぞれ専門の足を引っ張るような、部外視点から
常識以前の意見で注意を促すのも、表面しか見てない人には、それが
決定的弱点を突いたものの如く印象付けられるので、見事な切り崩しの
お手本のようだと、各専門家達はそう受け取りながらも、対策は手付かず
で過ぎるだけかなとも考えてます。時間がないし やり方が巧妙だもの。
新時代の実現は、その結果が人類全員に効果が及ぶものです。
従って、ムリにプロジェクトチームに入り込まなくても、いいでしょう。
むしろ気持ちよくスタートさせて上げるのも、人類への貢献です。
極右・極左という言葉は、右翼や左翼とは別の固定した人格になってしまった
もので、思想プラス信念で頂点に上り詰め、歪んだ権力となって君臨している
ものを指します。権力の歪みの部分に気付かず、国民市民の立場やその命を
虫けらの如く扱いながら、平気な顔で権力の持続を続ける立場という意味です。
(極左に対して、わたしは現在かなり同情的にみているとは思っています)
・阿修羅は、本物の反体制(反極右・反極左)なのか
・反体制の顔をして、論争・批判を展開するだけの体制派なのか
その質が問われている。
質や事実を見極めたら、各自が 自分の仕事にとってその事はどうなのかと
判断すれば、それでよい事なのだと思う。
あらゆる方法や提案とは、そこを基盤に展開できるかどうか考えていくのが
常識なのでしょうね。社会の常識もまた大切なものだと判断しています。
一応言いたいことは、全部発言できたので、後は前向きな展開に繋がるよう
何らかの気を使っていけば良いのでしょう、というように考えてはいます。
(気は使いすぎるぐらい使っているようには思うのですが、更にのようです)
本当の姿を確認し、それを事実と認識する事は、批判ではない。
それそれの事実を確認する事で、何が出来るのか、何が出来ないのか
方法の選択に繋がる事ですから、正確な認識は前進に繋がっているでしょう。