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Kを操る筋を探る 第一弾!(具体的 証言)
http://www.asyura2.com/0601/idletalk19/msg/438.html
投稿者 姫 日時 2006 年 8 月 06 日 15:50:14: yNQo0naya4Ss.
 

(回答先: やっぱり、無駄でしたか・・・ 投稿者 考察者K 日時 2006 年 8 月 05 日 21:18:16)

余丁町散人(橋本尚幸)より
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/Shiten2002/20020601.html

視点
  日本国債格下げに立腹する阿呆どもの見当違い

ムーディーズが日本国債の格付けを二段階引き下げたことで怒っている連中がいる。塩爺財務大臣は「(格付けは)民間会社が勝手にやっているだけで、だからといって政策の変更はしない」と「不快感」を露骨に示し開き直るし、経済界にもその妥当性を疑う声もある。新しい「A2」という格付けは先進国では最低であることはもちろん、チリ、ボツワナなどよりも低いと云うことで、さすがに誇りを傷つけられたらしく、マスコミ論調もそんな感じだ。日本は世界最大の貯蓄国で世界最大の債権国、経常収支黒字国なのに出稼ぎホステスの親元国やアフリカの最貧国よりランクが低いとはどうしたことだ、これはおかしいというわけ。でもちょっと待ってほしい。

繰り返すまでもないことだが、国債の格付けとは国の経済力の格付けではない。国債が間違いなく償還されるか、デフォルトの可能性があるかどうかという技術的な問題なのでである。現代日本のように、経済は一流でも政府と政治家が三流であれば、経済力が一流であるからこそ余計に(当てに出来る財源があるから余計に)「お上」が発行する約束手形は(国債)は踏み倒されるリスクがあるともいえるのである。

民間企業がビジネスする際に指標とするカントリーリスクのグレード評定にあたっては、その国の基礎的な経済力とともに、その国の政府の「借金はどうしても返す」という意志の強さの程度が重視される。70年代の中南米の経済危機では経済力よりむしろこれが問題となった。今の国債格付けにおいても同じことがいえる。日本政府に本気で借金を返す意志があるのかどうか、国民は確信が持てないのである。

何せ日本政府には数々の借金踏み倒しの前科がある。古くは鎌倉時代の徳政令。鎌倉幕府とご家人の莫大な借金はこれで帳消しにされた。江戸時代の大名も裕福な町人から借りるだけ借りて結局踏み倒した。江戸幕府は貨幣の金含有量を継続的に低下させることで己の借金を踏み倒した。明治政府も借金で戦争をして結局その借金をインフレで帳消しにした。第二次大戦後の預金封鎖やハイパーインフレによる借金の踏み倒し策も悲惨で記憶に新しい。戦時国債を無理矢理買わされた国民のお金は全て紙切れとなったのである。戦後のインフレとバブルも同じような性格がある。80年代のバブルで勝ち逃げをした連中は誰であるのか特定することは難しいが、一つだけ確実にいえることはバブルは日本政府に莫大な税収をもたらしたということ。それも現金でである。日本政府こそが真のバブルゲームの勝ち逃げ成功者、バブルの最大の受益者であった。

財務省は 今回の格下げは日本経済のファンダメンタルを反映していないと反論している。日本には膨大な個人金融資産があるとか、貯蓄投資バランスが巨額の黒字を示しているとか。でもこれは「政府の借金」を返すのに「民間のお金」を当てにしていることを改めて白状しているようなものではないのか。日本の個人金融資産を相続税で召し上げれば借金などすぐ返せると豪語した官僚がいたが、とんでもない話である。グローバル化の時代には国民の金融資産は国際的に移動が可能だ。資本が政府を選べる時代だ。民間は馬鹿政府の尻ぬぐいをするのにもう飽き飽きしている。

日本経済の歴史を少しでも勉強したものは、政府が日本の経済の潜在力が強いから国債の償還は大丈夫だと言うたびに、また日本伝統の「徳政令」か、或いはそのたぐいの国民収奪政策をやるつもりだなと警戒感を深めてしまうのである。今も昔も、日本の政府には「民のものは公のもの」という思いこみがある。いい加減に国民の財産を当てにするのはやめてほしい。日本政府の国債はやっぱりやばいと思う。

おまけ
http://www5d.biglobe.ne.jp/~cats_eye/topics_door49.html

ついで
http://www.eastwind.co.nz/newspaper/044/moneyflight.html

日本では、相次ぐ銀行の経営破綻による国有化、銀行の不良債権の償却が進まないこと、ペイ・オフ(預金などの払い戻し保証額を1,000万円とその利子までとする措置)の全面解禁等により、預金者の銀行および金融市場に対する不安が高まっています。

 その不安が高まる中、戦後、預金者の持つ苦い経験が再び起こるのではないかと懸念されています。その苦い経験とは、「預金封鎖」なのです。日本で起きた「預金封鎖」について、お話します。

 日本は、第2次世界大戦で敗戦した年の翌年である1946年(昭和21年)の2月17日に、政府が突然、ラジオで国民に向け「預金封鎖」と「新円切り替え」を宣言しました。5円以上の旧券を強制的に預金させ、既にある預金と共に封鎖し、その預金による払い出しは新券で行われ、その払い出し金額は、毎月の生活費相当分と新規事業のみに制限したのです。そして、それ以上の預金は、最終的には切り捨てられました。

 敗戦後の復興を急いでいた1946年当時、政府は1,000億円を超える「戦時補償債務」を抱えており、その処理が第一優先として進められました。戦時補償債務とは、軍事産業拡大に金融機関等が実行した融資に施された国家補償を意味します。1946年当時の国内総生産(GDP)である約800億円の1.25倍である約1,000億円超が、戦時補償債務の金額でした。現在では、630兆円規模に相当する途方もない莫大な債務でした。

 しかし、敗戦後の日本の財政には全く余裕がなかったため、「預金封鎖」と「新円切り替え」という手段に踏み切ったのです。「預金封鎖」と「新円切り替え」を実施することで、軍事産業に融資した銀行のバランスシートの調整を可能にし、融資した軍事産業の債権の補償を行おうとしたのです。軍事産業の企業の資産と負債を「新勘定」「旧勘定」に分け、銀行の資産と負債についてもこれに合わせて「新勘定」「旧勘定」に分けました。銀行は旧勘定の債務処理により自己資本がなくなり、債務超過に陥りましたが、その銀行の救済手段として、銀行にとっての「負債」である国民の預金を切り捨てたのです。つまり、戦後処理事項である国家の戦時補償債務を国民の預金で負担したのです。

【結論】

戦後1000億円強だった国の負債が、価値の変動、すなわち、物を高くすることで、通貨を相対的に安くする政策を実施し、1060兆円にまで膨れ上がった。なんと1万倍にまで、通貨を大放出しまくったのである。

そこで、やはり、失敗だったから、今度は、物価を上げて、相続部分を奪い取ろうといのが、K氏を操る筋だと判断!!

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