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Kは思うのだが、最近、世の中がおかしくなってきている。
末期症状と言えばそうなのかもしれないが、理屈と言う物を分かっていない人が増えてきているのであろう。
「Kが人とのコミュニケーションが取れない病気」という意見があり、まあ、それは認めるとして、それならKのレスにレス付けるのは自己矛盾だろうと思う。
対話の成立しない奴に「レスを付ける」のが病気であり「自分の価値観のみしか考えられない一元論者」だろうと思う。ハッキリ言って「Kより更に病状は深刻」だろうと思う。
まあ、一種の戦術として「一面のみを強調する事」によって、イメージを植え付けるというのは成立するとは思うが、それほどの知恵ではなく、単に自分が「そう思っているだけ」だろうとも思う。まあ、Kの評価はKが決めるのではないので勝手に決めてくれと言うところである。
「言い切れないとは言えない」というのと「言い切れる」というのでは、違うだろうと思うのだが、どうも、その辺も分からない人が増えてきているのかもしれない。
「賛成」でなければ「全ては反対論」という捉え方が一般的な思考法になってきているようである。二元論的な思考方法である。
「KはバカなのでKにも理解出来るように説明しろよ」と書いただけで「どうしても反対なのですね」という反応が返ってくる。
オイオイであり、少しは自分の説明能力の自己批判をしろよとも思うが、返ってくるのは「自己弁護の強弁」「思い込みによる経済理論」「捕らぬ狸の皮算用的効果論」「訳の分からぬ陰謀論」「成立していない共通認識」「一部を捉えての全体イメージ論」「自分の思想」「詭弁スレスレの論法」・・・
なんか非論理的(因果律を無視した)論理のオンパレードという代物かとも感じない事もないが、まあ、これは「Kの方にも問題がある」とも思う。
Kも人の子なので、病気とか書かれれば「冷静な分析力は低下して、感情的な非論理思考に陥っていく事」もある。
Kだって、間違いもあれば、勘違いも、思い違いもする。
左団扇というのを「社会主義思想を利用するような意味」と受け取ったのは「間違いだったかな?」とも思う。(でも、そう思うような主張をしていたから、そこまで勘ぐったと言う部分もある)
1 継続的な投資(言葉は何でも、資金の投入)をすれば、誰でも成功する。
2 それは、回りに回って市場を拡大する。
3 それは、投入金額以上の回収になる。
と言う意見は「可能性的には成功の見込みはある」
だが、可能性は可能性であり、失敗のリスクもある。
今ある赤字国債の山は「その失敗の積み重ね」とも言えるだろう。
まず
1 では「誰でも成功する」という「希望的観測=捕らぬ狸の皮算用的効果論」がある。
2 では「途中で国債に化けて市場の拡大にはいたらず、貯蓄として回らないで澱む」というリスクの見落としが考えられる。
3 まで行くと「勝手な経済論」になる確率の方が多くなる(成功の確率を失敗の方が上回る)とも考えられるだろう。その反面、成功の確率だって無いとは言えない。
公務員の購買能力が高まっているような書き方をするのは一種の詭弁でしょう。
公務員の購買能力も低下しているのですが、民間企業のサラリーマンはそれ以上に購買能力が低下しているという部分と「公務員は個人情報保護法上の抜け道が多く、しかも、セールスを断るのが下手」だから、名簿に名前が載っているのでしょう。
郵政選挙が大政翼賛選挙だった。というのも詭弁スレスレでしょう。確かにそのような一面はあるでしょうが、全部ではありません。少なくとも天皇人事を意識して投票した人はごく僅かでしょう。一部を持って全てを印象づけるという手法は詭弁的です。
国連をラスボスに見立てるのは「訳の分からん陰謀論+自分の思想(思い込み)」と言う部分も感じられます。
まあ、どうでも良いです。
好きにして下さい。