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最近「結論先にありき」という主張をする人が多くなっている。
分からない事があると「UFOの仕業だ」という結論が途中経過を飛ばして来てしまう。
数学の問題で途中の計算過程を抜いて突然解答が書かれているのと同じであるが、数学の場合には途中の式を抜いてもあっている事が多々あり、計算式は分かっているが、書くのが面倒という側面もあるので、頭の中にでも「公式が理解出来ているのならば問題はない」のかもしれないが、社会的には少し困る。
陰謀論とかUFOになると「その途中の公式は、その人の頭の中にしか存在しない」からである。
その人の中で消去法の末に出た結論であるなら、それでもまだマシである。
しかし、何の根拠もなく「結論先にありき」では迷惑である。
例えば9.11であるが、利益を得たのはアメリカのネオコンだから、犯人はネオコンだ!という決めつけが先にあり、その後、その為の証拠が探されるのである。
先入観が先にあれば、どんな事も疑わしいという方向に流れやすい。既に偏見があり、見方が公平でないのである。
「その見方は公平ではないのでは?」だけで工作員扱いである。
困ったものである。