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お盆は一般的に8月13、14、15日が相当すると思うが、7月の地域や8月でもちょっと日数に違いのある場所もあるようじゃのう。
ちなみに海外ではどうなんじゃろうか。
まあ、みんなでお盆と決めた時期がお盆ということで良いはずじゃから、むしろ、その時をどのような心で、どのように過ごすかが問題じゃわな。
誰が言ったか知らんが、お盆は地獄の釜の蓋が開くと古来より伝えられておって、苦界に堕ちた先祖も含めて、先祖供養するのが習わしじゃと思うがどうじゃろう。
ところが最近の日本人の様子を見とると、どうもそうした伝承的な習わしが風化しつつあるように見受けるんじゃが、皆さんのお宅ではどんなもんかいのう。
この点についてワシは二つの心配をしとるんじゃて。
一つは、先祖供養をしないご家庭が増えており、先祖と自分、子供たちとのかかわりを、忘れてしまっとるんじゃないかということじゃわな。
もう一つは、仏壇など先祖と交流する場所を無くしてしまったり、あるいは放ったらかし、ぐちゃぐちゃにしておるご家庭が増えておるんじゃなかろうかとする心配じゃわな。
日本人が古来から先祖供養を大切にしてきたのは、伊達や酔狂ではなく天地の法則「霊主体従」を知っておったからじゃとワシはにらんでおるんじゃが、自分を含め子々孫々と幸せの道を向上させるには、先祖に徳を送ることが重要なんじゃが、その一つの方法として先祖供養じゃわな。あるいは善行であり、感謝されることを行うことだったりするわな。
そして先祖供養のシンプルな形として仏壇があり、位牌があるわけじゃのう。ワシは別に仏教徒じゃないが、キリストだの仏教だの四の五の言う前の、人としてあたり前の行為が先祖供養じゃによって、仏壇でも何でも良いわな。霊は神道で言うところのひもろぎ(麻と和紙で作られた形)に乗りやすいようじゃが、金色にも気持ちよく乗ることができるようじゃで、位牌に金が使われとるのはそのせいなんじゃろな。
そうして、位牌なら位牌として、季節の食べ物を心を込めてお出しする、暑い夏なら水菓子や氷も良いわな。そして、感謝と祈りじゃわな。先祖のうれしうれしの喜びが、やがて自分の家族の喜びとなって戻って来るんじゃて。これも摂理じゃわなぁ。
とくにお盆や正月には地獄の釜の蓋が開くでな、苦界の人が少しでも楽になれば、この世の血縁の人たちの苦労が減るんじゃわさ。幸せへのビッグチャンスじゃわ。
しかし、地獄の餓鬼道から、ようやっと仏壇にたどりついた先祖が、供物どころか水さえなくて、汚れ放題の有様をみたら、がっかりして苦しむわな。
そして、その苦しみは現界の子孫に移写するでなぁ。過食症についてもそうしたことが原因となっとるケースも多いようじゃぞ。
じゃによって、海外旅行で楽しむのも結構じゃが、先祖にも心配りせんとな、いずれは苦が迫って来ることもあるでな。
ワシはお盆は、身分相応にお祀りさせていただいておるが、霊感の無いワシでも家の中が密度の濃い圧迫感のある空気となるでな。ちなみに、ワシの家では御神体、御霊屋(仏教の仏壇に相応する先祖の社)、仏壇、陰膳と4段階に別けてお出しする場合があるんじゃが、
お祀りが終わった後、そのお下がり4種を食べ比べてみると、ちゃんと4段階に味が変わっとるんじゃて。もちろん陰膳が酷く不味くなっているのは想像に難くないと思うんじゃが、一度試してもらうと良いわな。さらに、同じものを原本のように別けて置いておくと5段階になるわな。
とくに15日は終戦記念日じゃから、お国のために命を捧げながら、無縁仏となっている方も大勢いらっしゃるじゃろうから、その方達にも心したいものじゃでな、ワシはささやかながら、感謝の証として陰膳させていただいておるがのう。
霊界人は甘いものや、旨みのはっきりしたものがお好きなようじゃぞ。ぼた餅とかプリンとか夏ならスイカやみつ豆なんかじゃと、驚くほど味が変わるんじゃて。
そして、毎年、味が変われば変わるほどに、今年も大勢お越しになってくださったのうと、嬉しい気持ちになるわな。
日本人は戦後の教育の問題もあるが、宗教アレルギーも強くなっとるでな「心の忘れ物」が多いようじゃのう。しかし、巷で言うところの「宗教」以前の人として当たり前の摂理は守らんとな。日本の良き風習を子供達にも伝承しとかんとな、霊界で自分が困るだけじゃて。
お盆は大切な行事じゃぞ。先祖と共にくつろぎ、語ろう時じゃて。
http://www.k2.dion.ne.jp/~well0369/newpage11.html
参考までに言うとくが、霊界や神界は遠い所にあると思いがちじゃが、実は近い所じゃぞ。人間の額中央部は、神と霊的な糸で結ばれており、いつも清らかな光が神界から届いておるようじゃし、ここを神庭と人相学では言うらしいが、本当に言い得て妙じゃわなあ。やはり、いつの時代にもそうしたことが分かる強力な霊能者がおるということじゃろうかのう。
また先祖は、誰の体にも少なくとも5,6名の方は付いておられて、人間と共に修行してなさるんじゃわな。左肩には守護霊さん(多くは先祖からの選抜)がおられて、人が正しい道を歩むようにメッセージを下さっておるんじゃて。
じゃから、先祖と共に生き、先祖と自分と神で織りなす三人4脚の人生の旅じゃわな。お盆は霊界に徳を積むチャンスの大きい時じゃから、先祖へ心を寄せながら供養して、大切に過ごしたいもんじゃのう。
とは言え、気づかん者が増えて困っておられるじゃろうと思うぞ。
物欲、我利、邪まな思念の強い者は、魂に曇りが生じ、神からの直流の思念や先祖の想いも曇りによって伝わんようになるでのう、現代の日本人には厳しいかもしれんわな。オーラも汚れたオレンジやら赤系色の者が多かろうのう。
本来、宗教とはここに掲げたような「先祖を大切にせよ」「徳を積め」などのシンプルかつ包括的な行動指針と、実践の仕方を指し示し、生きとし生きるものが調和し、人々が幸せとなる道を指し示す教えのことなんじゃが、どこかで奇妙な錯覚がおきてしもうて、「信じれば救われる」とか「読経して禅を組む」あるいは「難行苦行によって悟りを開く」などのような抽象的内容や、超常現象を目指すようなものが宗教だと思い込んだようじゃのう。
宗教団体に入ってすることが宗教と思う者もおるでな、困ったもんじゃて。
お経も、なまぐさ坊主にまかせっきりにせんで、自らがお経の意味を学び、先祖に心をこめて自らがお経を読んだほうが良いわな。
それや、あれやの意味で釈迦やイエスは、対策が甘かったと言われてもしかたないじゃろうのう。