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(回答先: ノアがかけた「カナンの呪い」の謎(Hexagon2より) 投稿者 どん兵衛 日時 2006 年 7 月 14 日 16:29:20)
こんばんは、どん兵衛さん。
創世記 9章20〜27節は次のとおりですね。
さて、ノアは農夫として暮らし始め、ぶどう園を設けるようになった。
そして彼はぶどう酒を飲みはじめてそれに酔い、そのために自分の天幕の中で身をあらわにした。
後にカナンの父ハムは自分の父の裸を見、外にいる自分の二人の兄弟にそのことを告げに行った。
そこでセムとヤペテはマントを取り、それを自分たち二人の肩に掛けて後ろ向きに入って行った。
こうしてふたりは父の裸を覆ったが、そのさい顔は背けたままで父の裸を見なかった。
ついにノアはぶどう酒の酔いから覚め、一番年下の子が自分に対して行なったことについて知った。
そこで彼は言った、
「カナンはのろわれよ。自分の兄弟たちに対する最も卑しい奴隷となれ」。
加えて彼はこう言った。
「セムの神エホバがほめたたえられるように。カナンは彼に対する奴隷となれ。神がヤペテに広やかな所をお与えになるように。彼はセムの天幕に宿るように。カナンは彼に対しても奴隷となれ」。
カナンはなぜ誕生していないとされているのかは不明ですが、これはカナン誕生後の出来事でしょう。
それで、ノアが激怒するようなどんな事件があったのか、いくつかの解釈をご紹介しましょう。
まず、ぶどう酒の酔いから覚めたノアに関し、「一番年下の子が自分に対して行なったことについて知っ
た。」と記していますが、この点に関し、ロザハム訳の脚注は、「明らかにカナンのことで、ハムではな
い。セムとヤペテはその恭順のゆえに祝福されているが、カナンは記述されていない何かの卑しい行為ゆ
えにのろいを受けている。ハムはその手抜かりのゆえに言及から除外されている」と述べています。
同様に、J・H・ヘルツ編集のユダヤ教の出版物「モーセ五書と詠唱預言書」も、この短い物語は「何かの
いとわしい行為を暗示していて、それにカナンが関係していたのであろう」と述べています。そして、24
節で「息子」と訳されているヘブライ語が「孫」をも意味しうることを述べた後、同書は、「これは明ら
かにカナンのことを言っている」としています。
A・コーヘン編集の「ソンチノ版モーセ五書」も、カナンが「[ノア]に対して倒錯した性欲にふけった」
ものと信ずる人々のいることを挙げ、「一番下の息子」という表現はハムの一番下の息子であったカナン
を指す、としています。
そして、この預言的なのろいはいつ成就を見たかという点ですが、カナン自身がその生涯中にセムやヤペテ
の奴隷となったという記述はありません。こののろいはそれが宣告されてからおよそ8世紀後に成就を見ま
した。それはカナンの子孫がセム系のイスラエル人に平定された時です。後には、メディア・ペルシャ、
ギリシャ、ローマなどのヤペテ系諸勢力の支配下にも置かれることになりました。
>パレスチナいじめは原理主義者の所作?
そうなのでしょうか。聖書時代のカナン人と呼ばれた人々は、今は存在していないはずですが。
かつてはこの聖句、黒人の奴隷制を正当化しようと、カトリック教会やプロテスタントの牧師が、誤って
用いてきたことがあります。今も同じような意味で政治的に利用されているのでしょうか。
ですが、聖書的な根拠云々を言うのであれば、次のようなモーセの律法があることにも注目してもらいた
いです。
「また、外人居留者があなた方の土地に外国人として共に住む場合、あなた方はこれを虐待してはなら
ない。 あなた方のもとに外国人として住む外人居留者は、あなた方の土地に生まれた者のようにされる
べきである。あなたはこれを自分自身のように愛さねばならない。あなた方もエジプトの地で外人居留者
となったからである。わたしはあなた方の神エホバである。」
(レビ記 19:33‐34)
「雇われた労働者で、困苦にある貧しい者からだまし取ってはならない。それがあなたの兄弟であっても、
あるいはあなたの土地、あなたの門の内に住む外人居留者であっても。」
(申命記 24:14)
隣人でした。