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(回答先: 天主、創造主、大霊 投稿者 真理を愛する者 日時 2006 年 7 月 13 日 05:51:47)
はじめまして、真理を愛する者さん。
奇跡も日常化すると、奇跡とは見なせなくなるということもありますよね。
聖書時代のイスラエル人でも、荒野で40年間”マナ”によって養われたにもかかわらず
不平不満を募らせるようになりました。(民数記11:4-6)
でも逆に、当たり前と見ているものの中に、神のメッセージみたいなものを見つけること
もあるかもしれませんよ。
昔から、神を知るには二種類の書物があると言われています。
一つは、自然界という書物で、こんなことばがあります。
[ダビデ]
天は神の栄光を告げ知らせ、大空はみ手の業を語り告げている。
日は日に継いで言語をほとばしらせ、夜は夜に継いで知識を表わし示す。
言語もなく、言葉もなく、それらのものからは声が聞かれることもない。
(詩篇19:1-3)
[パウロ]
というのは、神の見えない特質、すなわち、そのとこしえの力と神性とは、
造られた物を通して認められるので、世界の創造以来明らかに見えるからであり、
それゆえに彼らは言い訳ができません。
(ローマ1:20)
そして、アイザック・ニュートンも、興味深い言葉を残しています。
彼は、人間の親指の関節の独特な造りを観察し、「ほかに証拠が全くなかったとしても、
わたしは親指だけで神の存在を確信できる」と書きました。
そしてもう1冊は聖書です。(テモテ第二3:16,17)
真理を愛する者さんも、何か得られるといいですね。
隣人でした。