★阿修羅♪ > 雑談専用19 > 145.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: お二人の会話には心根に「愛」を感じるぞ。 投稿者 ぼけ仙人 日時 2006 年 7 月 08 日 21:51:27)
お互いにいい生き方ができるように励まし合う
そういう関係はいいと思います。
私は批判癖というか、なんでも解剖したがるような所があって温かみに欠ける感じがされるかも知れません。
宗教的な心性を持っておられる方は
例えば「心」という言葉の中に色々な意味を込められていると思います。
私は心とは脳の働き過ぎないというような「身もふたもない」ような感覚を持っておりまして「温かい心」とは「温かい思考」の事だと考えたりするのです。
そこには心臓の鼓動がドックンドックンしているという血の流れのようなものを無視する「冷血な」感覚があるのかも知れません。
しかし、これはワザとそうしているのです。
ものごとを分析的に見るためにそうしているのです。
何の為にそうしているかというと
いい世の中を作る為には世の中の事をハッキリとつかむ必要があるのですが
その為には自分自身も含めてつぶさに分析する必要があると思っているのです。
病気の人に治療を施そうとしたら人間の体や病気について詳しい情報を得なければならないのと同じです。
それで全てのものをハッキリと意味が通じる最小単位に分解しようとしているのです。
定義がハッキリしている言葉で表現しようとしていると言ってもいいかも知れません。
例えば「心」という言葉にも色んな意味が込められていてそのまま使っても何を言っているのか分からないと思っております。
宗教的な心性を持たれている方の中には「心」という曖昧な言葉をそのまま使って肯定するというような曖昧性があるように思えます。
ある意味、言葉に対して素直なのかも知れません。
しかし、分析的な思考をする人間にとってはそれは危険な事のように思われるのです。
あまりうまく言えていない気がしますが以上が私が宗教を批判的に捉えようとする動機のようなものです。
それから「いい人になる。」という事は別に宗教でなくても社会的動物である人間が共通に持っている倫理観だと思います。
社会生活を送る上で必要だからです。