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(回答先: 超人ってのは、人間の平等を否定するってのとはちょいと違うみてえだぜ。 投稿者 天蓬元帥 日時 2006 年 7 月 09 日 12:03:39)
天蓬元帥さんどうもです
J >>ただ私が言いたいのは私有が問題ではないということです。
>所有じゃなく所有形態が問題だ、ってお話みてえだな。
J所有形態。これがどのような意味を言っているのか解りかねますが?
J >>そこで現在の所有形態は物ではなく貨幣(通貨)を多く持っているか少なく持っているかという相違しかありません。
T >物の所有より貨幣(通貨)の所有が優越することに問題あり、ってことかな。それとも、貨幣(通貨)の所有は一向構わねえが、貨幣(通貨)の在り方を問題になすってんのかな。
T >物の所有より貨幣(通貨)の所有が優越することに問題あり、ってことかな。
J まさにここに問題があります、人間の社会で貨幣は偶然に発明されたものです。本来は物と物との、物々交換が当たり前でした、その物の中に貨幣の原型(貝貨)が交換されていたわけです。それがやがて大手を振って色々な形の貨幣として交換の仲介者として交易に使われだしたわけです。それがほんの少し前までは金。銀。銅(江戸時代を例)という形で交換の仲介物として使われたわけです。やがて金属では産出量に限界があることから印刷された紙(紙幣)が使われたわけです。
J もし本来の形の物々交換でしたら貯蔵(蓄蔵)という状態に限界があるわけですから現在社会のような不平等までは無かったかもしれません。ただし逆に言えば貨幣が無かったなら多岐にわたる職業もありえなかったでしょう。
J 貨幣は両面を持っております。一つは貯蔵しやすいこと、もう一つは職業を多岐にわたり分化させること。
貯蔵しやすいことは、不平等に通じます。また職業を分化させることは市場経済に繋がります。
J 本来の人間社会は貯蔵しやすい形を何らかの形で排除し、貨幣を通じた市場経済を取り入れることにより多岐にわたる職業を創り出すことが出来るわけですから、それらをうまく使い分けていけば労働時間の短縮の中で全ての人が職を持つことが出来ます。
T>もし、貨幣(通貨)のあり方を問題になすってんなら、所有の話とはちょいと違う話じゃねえのかなあ。
T>貨幣(通貨)の所有が物の所有に優越することを問題になすってんなら、じゃあ、その優越の原因・理由が肝心だわなあ。オイラに言わせりゃ、その優越は所有そのものが原因じゃねえかってことよ。所有ってのが現実に対する自我の優越を作り出す仕掛けだとすりゃ、物の所有だけじゃ不十分なんで、もういっちょう高級な仕掛けを作ったんだと思うんだがなあ。
J>>人は文明がどのように発達したとしても所有つまり私有欲を一切無くすことは出来ないと考えます。
T>縄文ビトさんがそうお考えになるのは、ご自身、自我の束縛にがんじがらめだからじゃねえのかなあ。オイラにしろお前さんにしろ、人類の典型ってわけでもねえだろうによ。
J いや、自我は無いつもりですよ。
J>>超人などはいないでしょう、全て同じ人間です
T>超人ってのは、人間の平等を否定するってのとはちょいと違うみてえだぜ。言ってみりゃ、人間の本質ってことらしいんだなあ。本質に目覚めた先覚者と、目覚めねえその他大勢って区別はあるんだろうけどよ。
J 私は、釈迦にしろ、ソクラテス・キリスト・マホメットにしろ超人ではないと思っています。全て我々と同じ人間だと考えています。それから最後に天蓬元帥さんと天蓬元帥堂さんとは同じ人なのですか?
J 追記 上に書いた貨幣の話は現在私が書いているものです。ただもっと分り易く書いて行きますが。このようなことを言うと怒られてしまいますが、現在の経済学者でもここまでは知らないと思います。
以下の文章は以前書いた文章です、参考までに載せておきます。
http://www.asyura.com/0510/idletalk16/msg/812.html
だいぶ時間がたちましたが皆さんお元気そうで何よりです。 ある掲示板に楢篠賢司で投稿した文章を掲載させていただきます。
以下のアドレスは楢篠賢司が掲示板に投稿したやり取りです。http://bewaad.com/20050513.html#c21
通貨発行益のこと、解り過ぎるぐらい解りました。ただ、中央銀行発行通貨と政府発行通貨を一国の中で発行したとしても効果はほとんどないものと考えます、ただ国民を混乱させるだけにしか過ぎないのではないでしょうか。
通貨発行益を考えるとしたならば、現在の通貨をチャラにして新たな国の通貨として発行すれば100パーセントの益にはなるでしょう。
でもそんなことが出来るはずがありません。出来るとしたならば革命だけです。
現在資本論に替わるべき貨幣論を書くために勉強しています。
楢篠賢司 (2006-01-19 10:32)
読ませて頂きましたが、面白い内容で多分に興味が沸きます。
ただ一点だけ抜けているような気がいたしますが。
それは例えばの話ですが江戸幕府が崩壊し、それまでの通貨から明治政府発行の現在の(円)という紙幣(最初期は硬貨)に替わってきたとき、明治政府は通貨発行益を得ていたのではないでしょうか。それがいつの間にか発行益どころか借金体質としての国債残高の膨らみとなり、利息支払いでどうしょうもない状態になったのが現時点だと考えます。
そのように考えると新たな通貨を別の形で発行したとしても、行き着く先は同じような繰り返しになると考えます。いやそれどころかもっと悪くなるのではないでしょうか。
それよりもなぜそうなるのか(通貨発行益どころか借金体質への変化)を考えなくてはならないと思います。
いかがでしょうか。
◆ bewaad (2006-01-20 04:14)
>楢篠賢司さん
同じく政府の負債だという面に着目した場合に国債と紙幣の何が違うかといえば、国債は増税等で返済を手当てする必要がありますが、紙幣(この場合、通貨発行益による財政ファイナンス)は刷り直せばよいという点になります。では後者ならよろずめでたしかといえば、インフレという副作用を引き受けなければなりません。
とりあえず当初は通貨発行益を吸い上げていたということを前提とした場合、紙幣による財政ファイナンスを国債(ないし租税)によるファイナンスに切り替えなければ高レベルのインフレは不可避となりますので、「同じような繰り返し」でなければ異なるバッドエンドとなります(以上は財政支出の内容等を問わず単にファイナンス形態のみに着目しての議論です)。
◆ 楢篠賢司 (2006-01-20 04:59)
私の言いたかった事は、簡単に言えばなぜデフレになるのかということと、なぜインフレになるのかということになります。単なるインフレは通貨発行の増大ということではなく、もっと根底にあるもの、当然デフレはやはり同じく根底にあるもののことです。
貨幣経済であるからインフレとデフレは当たり前の事というものではなく、貨幣経済においても両者を発生させない方策は何かと言うことです。
それ等、インフレとデフレの基になるものをなくせば、本来の通貨発行益が全ての人が享受できるのではないでしょうか。
そのような社会が本来の人間の社会ではないかと考えますが。
ただもう一つ、現在進められている、電マネーは新しい通貨発行益を企業(金融関係者)が国に替わって受け取る事になるという事で、国の権力が企業(金融関係者)に取って変わられると考えますが。
私の根底にある考え方は、「人間とは何か」ということを歴史を通して考えた時、その時点(歴史の中で)の経済を握ったものが人間を支配してきたというのが私の持論になりますが。
ただ、その例外は狩猟。採集経済に於いては(経済は全ての人間の手にあった)その限りでは無かったということです。
電子マネーにつきましては、電子マネーには二通りの方法があります。一つは手形的(厳密に言えば手形の逆になり商品を売ると言う約束で現金を客から預かる)なものであり、他の一つは現行通貨を駆逐し、通貨発行益で得られる莫大な富を利用して世界を統一し、完璧なまでの人間支配を推し進めるものになるという事です。
まだまだ、勉強が足りませんが、年内には何か形に残したいと考えています。
本当に散発的な文章で申し訳ありません。一つ一つを詳しく説明すればよいのですが、それはこれからのことと考えています。