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私は、市場で淘汰されるべきは、市場競争に生き残れない企業ではなく、人々の購買意欲をいたずらに煽り、不要なもの、環境を破壊するものを売りつける大企業ではないかと思います。
先日、「ココシリ」という映画
(http://www.sonypictures.jp/movies/mountainpatrol/site/top.html)
を見に行きました。毛皮をとるためにチベットカモシカを密猟する人たちを取り締まろうとするチベット民族の人たちの物語(1997年頃まで実際にあった話をもとにした作品)です。
チベットカモシカの毛皮は、非常に高く売れるため、密猟者らやそれを助ける人たちの生活の向上に役立っている、というわけなのですが、問題の根源は何かと言えば、映画では触れられていませんでしたが、毛皮を買う人たち、そして、それを買わせる業界の存在です。
高く売れる、ということは、富裕層が買っているということです。富裕層にとって、毛皮の服を着るのは一種のステイタスのようなものなのでしょう。
ファッション業界や、服飾産業、そして、それを宣伝する広告産業が、毛皮は高価だというイメージを氾濫させ、富裕層らにその高価な服を買わせようと日夜努力しているわけです。
本当は、血塗られた服なのに、です。
そして、それをわかっていながらも、生活のために、密漁者となったりそれを助けている人がいるわけです。
密漁以外の「儲かる」仕事としては水商売がある、というふうに、映画では描かれていました。
一方で、主人公たち(より正確には、主人公の北京の記者が取材したチベットの民間のマウンテン・パトロール隊)は、自腹で密猟者を取り締まっていました。彼らは、資金がないので、取締りの中で得た毛皮を売る、というような、自己矛盾した行為もせざるを得ない状況でした。
今はまた事情が変わってきているようですが(http://www.sonypictures.jp/movies/mountainpatrol/site/production.html参)。
この映画で見られるような毛皮産業などはほんの一例にしかすぎませんが、こういう、倫理的に見ておかしな行為
(売春にしてもそうですね。女優になるためには「脱」がなければならない、なんてのがまかりとおっているのも理不尽な話です)
が金儲けになるようなシステムは、ニッチ的にでも残っていてはならないと私は思います。
とは言っても完全になくすことは不可能なのでしょうが、明らかな不正が公然とまかり通るようなことを許すシステムというのは淘汰する必要があると思います。
また、大企業は、その、大規模化志向、グローバル化志向から、地域コミュニティを壊します。人間の絆を壊します。効率性の過度の追求は、人の切り捨てをも賞賛するような文化を生み出します。
市場原理にまかせておくと、自営業や中小企業は淘汰され、大企業が生き残ります。
最後に残るのは、吸い尽くされ、破壊し尽くされた自然と、疲弊し、荒廃しきった人々の心です。
大企業よりも、地域に根をはり、地域社会に貢献していく、自営業や、地域密着型の中小企業の方を重視する社会に転換する必要があると思います。
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http://ameblo.jp/warm-heart/