★阿修羅♪ > 雑談専用18 > 476.html
 ★阿修羅♪
「『排除』論反対論」批判
http://www.asyura2.com/0601/idletalk18/msg/476.html
投稿者 heart 日時 2006 年 7 月 01 日 11:16:58: QS3iy8SiOaheU
 

(回答先: “私は正しい”症候群 投稿者 荒野のラグタイム 日時 2006 年 7 月 01 日 07:44:08)

荒野のラグタイムさん、初めまして。

荒野のラグタイムさんの投稿に対するレスというわけでもないのですが、
以下、この間善というものについて考えていた時に付随的に思いついたことが、少し関連すると思うので投稿させていただきます。


社会生活を営む中では、人と人とが対立することがある。
その時、当人たちが、ある一つのことが善であるか悪であるかを巡って意見が対立することがある。
これがイデオロギーの違いに基づく事実認識の相違であるなら、中間点もしくは融合的な意見を導き出すか、お互いの言い分の論理を理解しつつも譲らないか、もしくは部分的にだけどちらかが譲るか、のいずれかの結末になるだろう。

これに対し、(イデオロギーの違いに基づく事実認識の相違ではなく)道徳観の違い、つまり、道徳的な判断基準の違いに基づく事実認識の相違が生じることもある。
この場合は、妥協できることもあれば、妥協できないこともある。
妥協できるならまだよい。
だが、両方が妥協の余地なしと考えている場合は、はっきり言って始末が悪い。
非難の応酬になる。
そして、この非難が、時に、部外者に、「排除論反対」論を唱えさせる。
この時、彼らは、入口でつまずいている。
非難と排除は別物であるのに、非難を排除と同一視して論じているからだ。
排除論批判をやりたいのなら、正真正銘の排除の事例を引いて行うべきだ。
彼らは意識的にせよ無意識にせよ、そのような前提から誤っている「排除論反対」を唱えることにより、単に非難を行っているだけである当事者の片方に、「排除論者」とのレッテルを貼り付ける。
貼り付けられた方からすれば、風評被害もいいところである。
うわべだけ排除論反対を唱える彼らこそ、排除論を地で行く人々なのではないのか。
排除論反対を唱えたいのは排除論者とのレッテルを貼られた方であろう。

以上、「『排除』論反対論」批判であった。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ HOME > 雑談専用18掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。