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宗教や宗教団体に対して否定的な空気が、この国を支配しているようにワシは感じておるが、それは愚か者の思想に他ならないとワシは思うておるんじゃな。
確かに、宗教的な装いの陰でなされた悲惨な事件や、偽りの行為があとを絶たないのも承知しておるがじゃ、やはり、ものごとをきちんと整理して判断すべきであって、日本人の多くは、情緒的で一時的な感情に流されていると強く思うとるんじゃが、どうじゃろか。
そもそも宗教とは、人が人として成長を果たし、幸せを得るための道を示唆する「仮説」的教えのことであり、聖人が多くの苦難を乗り越えて獲得した貴重な仮説じゃわな。
キリストの仮説が正しい教えとするのがキリスト教で、釈迦の仮説が優れているとするの仏教であり、その支持者集団に所属するいずれの者も(教団の要職に就いとる者も一緒)道を求める修行者じゃわな。
言ってみれば柔道や剣道、茶の道と状況は同じじゃわさ。
ところがじゃて、それで話が完結するならば簡単なもんじゃが、実際には邪神がいてのう、邪魔しとるんじゃ。正義らしい体裁で偽物の宗教を出したり、正しい宗教団体の中へ邪な者を紛れ込ませるなどして、人々を間違った道へ誘導するから困るわなあ。
やがては人々の心に宗教不信、否定が育ち、宗教は駄目だとか、教団は危険だとかなどと受け止めて、正しい宗教の道を拒絶するようになってしもうたわ。
これでは邪神の思う壺じゃて。とにかく、本当の邪神とは映画のように恐怖をふりまく存在じゃなく、人が正しい道を歩まんようにするのが本業なんじゃて。
常識や法律を知らなければ知らないほど、詐欺や虚言に騙されやすいのと同じゃわな。じゃから、宗教を学ばず人生を渡ろうとすることは、法律家になろうとしとる者が法律を学ばない愚や、社会通念や商習慣を知らずしてビジネス社会で活躍しようとする幼稚な考えに似とるわな。まさに宗教概念や道を学ばないからこそ、邪教や邪念に踊らされるんじゃ。
そして、宗教を正しく学ぶには、まず教義じゃわな。邪神の妨害にめげず、各宗教・教祖の残した重要な教えについて深く思考し、現実に目を凝らし耳をすませば、そこに漠たる状況ながら教祖の思いや、指差す方向が見えてくるもんじゃて。しかも不思議なことには、正しい教えは、同じような方向を指差しとるんじゃのう。
また、人は皆、魂の部分で真実をしっておるから、その方向に深く納得できるようになっとるでな、自然と見えるわな。
そこには、誠心、思いやり、謙虚さがあり、命の大切さ、美や徳の重要さなどが謳われておるはずじゃ。
教義なく、また、あったとしても、真心や人類愛が感じられないものは避けた方が賢いわな。しかし、教義は本物でも、教団がわやにしとるのも多いでな。注意深く見守りながら、ここらあたりがなかなか難しい学びじゃわな。
こうして見渡すと、現代の世界的な巨大宗教団体の中にも、教祖の言葉に反したことを平気で行い。信者もその教団を支持しとるところも多いわな。
キ○ス○教の某団体も危ない感じだし、イ○ラ○教各宗派なんかわまともに狂っとるわな。○○学会などは宗教団体じゃないしのう。いろいろあるぞ。イエスやムハマンドはあきれかえっとるじゃろな。それとも苦笑いかのう。
これも、宗教を正しく学ぶことを忘れた世界じゃし、逆に反面教師として深く学べるわさ。
そして今日のような宗教についての安易な否定や、狂った宗教を学んだ結果、他者への思いやりや、人としてあるべき道、命の意味など日本人の心に自然に育まれて来た大切な心を忘れしまうもんじゃから、幼児をはじめとする弱者への攻撃的行為や、肉親、親子関係での殺傷事件などが後をたたないわな。
当然、人々は人格の品位や教養よりも金や権力志向へとシフトする姿に変貌し、醜い我利我利亡者を礼賛するようになって、礼節や徳積み、思いやりなどの美しい言葉も消えそうじゃわさ。
したり顔して知識人のように振る舞い、狭い思考回路で判断して宗教を否定する輩は、邪神のお手伝いをしとることになるんじゃから、そこのところはしっかりと理解しといてほしいもんじゃのう。下記のHPでしっかりと勉強しとくれ。
http://www.k2.dion.ne.jp/~well0369/newpage10.html