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新自由主義なるものが、喧しい。
株主の利益優先、利潤の最大限化、グロバリゼーション(市場、資源のみならず、労働力しかり)確かに、その新自由主義なるもの、今の世界を支配していることは認めます。
世の、アメリカで勉強をされたという、センセ方、アメリカでは「こうしてる、日本は甘い」、「自己責任」だの「お説教をする」のはいいけど、
その新自由主義なるものの、「前提」を語っていないとおもう。
個人の「自己責任」をのたまうなら、「個人の自由と権利」をもを語ってほしい。
そして、法律的なインフラの整備だ(インサイダーの規制とか、労働法の整備、そして、今の労働市場にふさわしい教育の改革)。
日本における、新自由主義、つまり「支配する者たちの利己主義」と、日本人の伝統的な価値観(仕事の神聖、集団優先、個人の無視、権利法意識の欠如)が結びつくと、とんでもない世の中になってしまう。
バX殿、その取り巻きの老獪な老中、お代官、特権商人、岡引(お上から、十手(チャンネル権)もらって、「お上」にはぺこぺこ、「下々」には空威張り、マスコミにそっくり)そして、地回り、そんな者たちが仕切っている、安物の時代劇を思い出してしまう。
経営者、為政者が「利己主義」を主張するなら、普通の人も「利己主義」を主張すればいい。そして、その「利己」と「利己」が競合するとこ、は、法制化なり、話し合いなりで利益を調整すればいい。
たとえば、日米牛肉の輸入交渉で多くの日本人があきれたに違いない。
しかし、アメリカの代表は,自国の利益を忌憚なく出しているだけだ、日本の代表も自国民の利益を表現すればいいだけのはずだ。
100人が、100人、1000人が、1000人、利己を主張すればいい、そこから、おのづと、「共通の利益」があぶりだされるはずだ。
「利己」という言葉を、支配するもの、エゴイストだけ語彙にしてはいけないとおもう。