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(回答先: まとめてレスします。レスをいただいた皆様には感謝しています。 投稿者 吉見侑子 日時 2006 年 6 月 26 日 07:29:02)
>吉見侑子さん こんばんは、少し考えさせられる意見だと思っています。
【国民が支配層や、上流の暮らしを羨んだり妬んだりの反動により、彼等の足を引っ張ったり、責任を取らせたりするのだろう、と考えた結果、妬みからの追求や吊るし上げから解放して上げようとするのであれば、それこそ狭い判断であり、大きな社会的問題認識を見落とし、重大な損害となって国民の肩にのし掛ってくる可能性があるという事です。】
権力者が「国民を食い物にしたような場合」であれば、吉見侑子さんのご意見は正当だろうと考えています。
【(国民が支配層に、このような形で妬んだり嫉妬したりするが故に責任を追求したりすると、Kさんはこのような判断はこれまでしてなかったですよね。)】
民主党のガセネタメールの時にも、Kは「考え方、そのものに異論を唱えました。」が、Kは「スキャンダル的な、お祭り騒ぎによる。多数派形成によって、敵対する者にダメージを与えるという手法」を嫌いなのです。(嫌いというより、間違っていると信じていると言う方が適切かもしれません。)
そう言った意味では【Kさんはこのような判断はこれまでしてなかったですよね。】という部分は、Kか吉見侑子さんの、どちらかに誤解がある気がします。
【人類の理想の社会を実現するまでは、力ある強い人達(社会の中核)は、弱者の側の応援をして頂きたいものと願っているのです。】
Kは【力のある強い人】ではありませんが、今の社会は「根本的に間違っていると思います。」
もっと、福祉が充実し、マネーゲーマーより額に汗する労働者が報われ、労働者の社会的地位を向上させるべきだろうと思っています。
ただ、Kの意見は「誤った手法で創造された社会は、理想的な社会にはなり得ない」と思っています。
しかし、例え手法は間違っていても、取りあえずは成果こそが重要(小泉自民党もしくは自公連立に打撃を与える事が正義)という考え方にも一理あるとも考えています。
手法より結果こそが重要視されるべきだとすれば、自民党の応援者的な存在に対し「スキャンダルを作り上げても、捏造しても、詭弁を弄しても、失脚させる」というのは、戦略論としてあるだろうとは思います。
「手段は選ばず、卑怯な手を使ってでも、勝った者が勝利者」というのは確かに一つの真理です。ただ、これをKが容認してしまうと「Kも自民党の弱肉強食市場原理主義者と同じ」という事になってしまいます。
Kは「他人を引きづり降ろすという世論の多数派形成によって再構成された社会」では、決して良い社会にはならないだろうと考えています。