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此の慘敗と云ふ無殘な結果を受けて、各方面から色々な原因や問題や罵詈雜言なりが
言はれるであらう。
やれ、ジーコの采配が惡い
やれ、電通が惡い
やれ、川渕が惡い
やれ、柳澤が惡い
やれ、高原が惡い
やれ、やる氣があるのか
やれ、點を捕る氣があるのか
やれ、根性が無い
やれ、體力が無い
やれ、技術が無い
等々
此のやうな枝葉末節の現象として出てきた問題點、原因を擧げて行けば數限りなく出て來る
であらう。ありとあらゆる罵詈雜言が飛び交ふのであらう。
然し、此れらの原因、問題點、罵詈雜言は現象として只單に蹴球日本代表と云ふ組織に象
徴的に現れてゐるに過ぎない。此れらの負の要素は須らく我々日本と云ふ國家、民族が抱へ
てゐる負の要因が此の組織に象徴的に表出してゐるに過ぎない。詰り、蹴球日本代表の問題、
原因、罵詈雜言は全て我々日本と云ふ國家、民族に其のまま當て嵌まる事許りであると云ふ
事を認識しなければ成らない。
故に此の日本サッカー協會及び蹴球日本代表と云ふ組織は
日本と云ふ國家、民族其のものである。
四年前の日韓共催のワールドカップに出場してゐた當時のアルゼンチン代表は強豪國であ
るにも拘らず豫選リーグであつけなく敗退した。其の當時、アルゼンチンは國家破産状態で
IMF管理化に措かれてをり、どん底の状態であつた筈である。此の樣に、其の國の國家、民
族が措かれてゐた状況が、かくも象徴的に現れるのである。
鬼塚英昭氏著「二十世紀のファウスト」より引用。
二百九十二頁
絶妙な平衡感覺を維持するには、民族、個人の中心に確たる軸が必要かもしれない。軸の
事を云はば民族の原則と呼ぶべきかも知れない。ベラスコは數年前、日本を訪れてゐる。
歸國の際に、日本訪問の印象を尋ねられて、「デ・エスタ・エル・ハポン(日本は何處へ行つ
た)」。詰り、「原則はどうしたのか」と一言殘して成田から立ち去つた。超スパイの目に寫
つた日本は軸を失つた危ない國なのだらうか。
三百二十頁
・・・・・・たとひ現代日本が、實に文化的に貧困であらうとも、欺瞞と不明朗の塊であ
らうとも、われわれ日本人は、日本といふ島國を離れては、歴史的世界を持ち得ぬ人間で
あり、其の地盤が惡からうとも、其れ以外にわれわれの地盤はなく、云はばわれわれは、
われわれの土壤しか耕せぬ人間であると考へる以上、俺は泣き言を行つてはならない。
林 尹夫 (學徒出陣者の遺言)
日本と云ふ國家、民族は、百五十年前の明治維新と云ふフリーメーソン革命で、六十年前
の大東亞戰爭に於いて、西洋物質科學文明に、物心兩面に於いて完全に敗北しました。今、
此の日本と云ふ國家、民族は、只の東洋に在る、一つの國、只の魂亡き東洋人、亡國の民に
成り果てたのです。遇々日本と云ふ國名を附け、日本人と云ふ國籍を有してゐるに過ぎない
只の東洋人でしかないのです。百五十年と云ふ時を經て我々は此の無樣な状態に墮ちてしま
つたのです。魂を賣り渡し、腐らせ、切り賣りして經濟的な豐かさは慥かに手に入れました。
然し、現在の迷走した此の亡國及び亡國の民は、魂を捨て去つた其の揚げ句、さうやつて手
に入れた經濟的豐かさをも貢ごうとしてゐる、失はうとしてゐる。此の愚かしさ。無樣さ。
其れが今の日本國及び日本民族なのです。殘つたものは腐り果てた國土と肉體と精神と云ふ
誠に目も當てられない状態が、此の日本國及び日本民族なのです。
魂は見えません。形が在りません。だからそんなものなど無いし存在しないとも言へる。
在ると言ふなら證據を見せてみろと言はれたら、見せる事など出來ない。然し、魂は其處に
あるのです。形無き、見え無きが故に如何に其れが大切なものなのか。古の日の本の民は無
意識の意識に於其れを認識してゐた。然し、西洋物質科學文明に、物心兩面に於いて完全に
敗北した亡國の民は其の大切なものを欲に目が眩んであつさりと捨て去つた。其れは今の日
本の慘状を見ればよく分かる事です。魂を失つた成れの果てが、今其處に、目の前に、隣に、
周りに、そして私自身に存在してゐるからです。
一人でも多くの方々が眞に覺醒する事を只々願ふ許りです。