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(回答先: 男は、女は、というふうには論じられない 投稿者 heart 日時 2006 年 6 月 20 日 14:29:45)
究極の平等社会を知っていますか?
それは自然状態です。法律も権利という概念もない状況を究極的平等というそうです。
実力によってのみ差がつく社会を究極的平等というそうです。
男と女、個別では女より弱い男や男より強い女の存在を認めます。
しかし、全体で見た場合はどうでしょうか?
それでも全体では同じと言えるでしょうか?
全体で見て対等であるならば、いっそ自然状態にした方が平等とも言えるかもしれません。
heartさんは面白い方ですね。
全体の話に個別の例外状況を持ち込むなんて・・・
社会一般でも最近見られる現象で普通と言えば普通です。
男性並みに働けるから男性と同じ勤務形態を望むと一部の少数意見を、
全体の規定にしてしまう状態がそれに当たると思います。
古来、婦女子労働とはコストが安く従順なために使いやすい労働力として重宝されました。
現在に置いても全く同じと考えますが、少々状況が違います。
法律や権利、社会保障などの複雑なシステムによって闇に紛れて婦女子労働が復活しているようです。
そのような状況下に置いて、男性以上に働く女性がいたとした場合。
他の女性に与える影響はどのような現象が考えられるでしょうか?
まさにそういった状況が鬱病患者を急増させているのではないかと思います。
確かに男性も同じといえますが、女性と男性とは身体的能力が違うようです。
もちろん、これも個体差があって男性以上にストレスに強い女性もいます。
だからといって放置していいのでしょうか?
例として女性問題を取り上げましたが、上文の「女性」を社会的弱者に当てはめてください。
例えば、成績の悪い男でもいいし、身体障害者や精神を病んだ人でもいいでしょう。
学歴のない方でもいいと思います。
これらの条件の中で、個別で考えればそのような条件下であってもよくできる人並みの能力を持つ人の存在を否定しません。
しかし、それらの存在をあげつらって問題を消し去っていいものでしょうか?
確かに残業月80時間出来る女性がいて、女性全体が月80時間残業可能でしょうか?
男性であっても難しいですが、まれな例を挙げて不可能なキマリを作ってよいものでしょうか?
社会が高度化した弊害だと感じます。
女性は、男性的な競争的意識のアンチテーゼとはなれないのでしょうか?
それとも、個別を取りあげてさらに加速化させなければならないのでしょうか?