★阿修羅♪ > 雑談専用18 > 346.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 生き様を見せるだけで 投稿者 日 日時 2006 年 6 月 18 日 01:57:31)
日さん、こんにちは。
>生き様を見せるだけで
>それが私憤や公憤による親の行動であっても、子には学びとなるでしょう。
>奇麗事ではない、親の背中。そんな親子が一日中、共にあることが前提になります。
>12歳頃までは。
確かに、親の背中から学ぶのが一番よいのかもしれません。
一日中一緒にいれば、わざわざ学校に行って集団生活しなくても、社会勉強もできますしね。
子供だけの空間なんて、友情も生まれますが、いじめるかいじめられるかのどっちかに立って戦っている、っていうようなことの方が多い気もしますし。
そんな中での生き残り戦術を覚えるよりも、親の背中から学ぶ方がよっぽど生産的な気がします。
>小学校という前提を否定します。イジメや優劣コンプレックスによる心の傷を負った青少年や大人を作り出す装置でしかないからです
おもしろい発想ですね。
しかし、確かにそんな気もしますね。
集団生活は毒、確かにそうだろうと思います。
親がおかしかったらまたダメでしょうが、ある程度まともな人格を持った親だと自分のことを思えるのなら、純粋な我が子を集団に入らせて汚いものに触れさせるよりは、手元において、教育をする方が、いい人間に育つような気もします。
学校に行かせておかしな子にさせてしまうよりは、人格が大体形成され終わる12歳までは手元で育てる。
それもいいかもしれませんね。
ただ、現実問題として、それは「専業主婦」にしかできない、という問題がありますね。
>尤もこの仕組みこそ民衆を自分達のホテル(地球)のドアボーイ(労働者)として、一日中拘束するために作られているのですね。
>子を小学校に預けさせて、隷従させるために。
社会の仕組みがそうさせている、ということですね。
小学校自体も封建的装置だ、というような話も聞いたことがあります。