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(回答先: 人類が乗り越えなければならない壁とは、 投稿者 haru 日時 2006 年 6 月 17 日 23:06:59)
>人類が乗り越えなければならない壁とは、他者に対する自分の立場をどうとるかということなのではないでしょうか?
他者に対する思いやり、というようなものでしょうか?
>社会、世間とは、今は往々にして人間世界のみをさす言葉となっております。
>しかし、私たちの住むこの地球あるいは宇宙は人間だけが住む世界ではなく、人間以外の存在の恩恵によって成り立っております。
>それは否定されざる事実なのだと思います。
>人間の汚さというものは、この地球を我々の世界であると云う傲慢な誤認識から起こっていること以外にあるのでしょうか?
全く同感です。
私は極端に言えば人間がいなくなれば地球は平和になると思っています。
人間以外の動物も植物も、人間がいなくなれば幸せに暮らせるでしょうから・・・
しかし、人間だけをいなくすることはできません。
人間社会がまともになれば、動植物も今よりはまともな生き方ができるのではないか、と思います。
これも人間が動植物より上だ、という考え方なのかもしれません。
しかし、私は人間よりも動植物の方が上だと思っています。
人間よりも純粋だと思うからです。
私が社会をよくしたいと思うのは、動植物のため、というところ大です。
実生活ではともかく、少なくとも観念の上では、人間と動植物、どっちを大切にするか、と聞かれたら、動植物の方を選びます。
これは自分でもかなり偏屈な考え方だろうと思いますけどね。
>汚さを教えることとは、悪を教えることと違うのでしょうか?
同じだと思います。
>悪を否定することは新たな悪を生み出すことにはならないでしょうか?
なぜそうなるのでしょう?
>人間の汚さを認めた上で、調和と云う安定の道に向かうことは叶わないでしょうか?
そうできればいいと思います。異論はありません。
>私自身も答えを持ってはおりません。
>ただ、次の世代に汚さ、あるいは悪を教えてゆくということに対しての疑問を禁じえませんでしたので、レスをしてしまいました。
汚いことから目をそらしても、汚いものは存在します。
目をそらしてしまっては、いつまでたっても悪はなくならないと思います。
だから、私は次の世代にも、今の世代にも、世の中が汚いということも、きれいな面と同様に、教えていく必要があると思うのですが。
haruさんはキリスト教とかに造詣が深いのでしょうか?
なんかそういう感じを受けるのですが。