★阿修羅♪ > 雑談専用18 > 341.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
議論板で、イデオロギーチックな部分をできるだけ表面に出さないようにする方が運動は成功するのかもしれない(http://www.asyura2.com/0601/dispute23/msg/415.html)といったことを書いたりしていたのですが、
以下のような記述を見つけました。
イデオロギー対立などせずに、大本営発表でない、真実に近い情報を広めることが社会を変える第一歩なのかもしれないと思いました。
==============================================================
http://luxemburg.exblog.jp/1809948/より転載。
(前略)
実は、人間の考えることはあまり変わらない
知ったように「いろんな考え方がある」という人がいる。なんだか民主主義社会ではそれが当たり前なんだ、と言わんばかりだ。もちろんそういう局面もある。しかし、多くの局面で、意外にそうでもないのではないか。
たとえば、ベトナム戦争の時に戦場の生々しい映像、写真が報道され、反戦運動に勢いを与えてしまった。だから、湾岸戦争以降は非常に報道管制にアメリカは気を使った。
つまり、真実が報道されてしまった場合、人間が感じることははっきり言って一つなのだ。アメリカの当局自身が「いろんな考え方」なんてないことを知っているからこそ、報道管制をするのである。
ではどこが違うのか、それは右翼、左翼というデジタル思考をやめて考えてみるとある程度わかる。まあ簡単に言うとケインジアンとマネタリストの違いのようなものだろうか。長くなったのでこれについては、また次回書くことにする。
いずれにしても右翼の心情といい、目指したい平等といい、なんだか協力できる余地があるのではないか、というところまではガッテンして頂けましたでしょうか?