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(回答先: この先の日本、いや世界の中でホームレスは増えると思いますか、減ると思いますか? 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 6 月 14 日 19:12:39)
縄文ビトさん
遅レス失礼いたします。
増えざるを得ないと感じています。
「救われたくない怠け者だっている。それは認められないのか?」
確かにそうです。救われたくない自由があります。
しかし、社会全体を考えた場合、そのような自由があったとして、
一体どのような作用をもたらすか考えなければならないと思います。
人生というのは短いようで長いものです。
一時、強烈に自殺願望に囚われた人がいて、そのまま自殺させてあげるほうが問題解決とすれば簡単です。
しかし、実際には人間生きたいもので、しばらくすると自殺願望も和らぐそうです。
ただ、そのままにしておくと自殺の原因が取り除かれていないために、自殺出来なかった人の何割かは、再び同じ行為を繰り返すそうです。
救われたくない願望も似たようなものではないでしょうか?
社会的動物である人間が社会に背を向け救われたくないと思うとき、人生の中でどれくらいそう思う時間があるだろうかと思います。
生まれながらにして社会に背を向ける人はあり得ません。
また、一生そのような意志を持ち続けることも老化など生理的現象もあり難しいでしょう。
であるならば、反社会的感情は至って後天的で環境的なものだと思います。
しかし、ごくごく一部の例外を排除しません。
もちろん、そういった人をあつめて、勝ち組である仕事に成功した人が教育することも無価値ではないでしょう。
むしろ、勝ち組の人たちが子供たちを教育することもいいのかもしれません。
ただ、今は縮小均衡経済です。
テレビでも盛んに言われるように小さくなるパイを人より多くとらなければ将来が保証されない社会です。
人より多くとることによって人より長く安泰でいられるのです。
もっと言うなら欲望のまま根こそぎとることも勝ち組の特権として許されるようになりました。
むしろとらないでいると、会社の利益を損なったとして例えば株主などから訴えられるのです。
では、自由で公正と言われる競争社会でとれなかった人はどうなるかはご想像にお任せいたします。
新たなパイをみつけることもできるでしょう。数%の勝ち組には難なく見つけることが出来るからです。
それ以外の方たちの方が想像するのは難しくないと思います。
縮小均衡と言われて、実際そのような統計も盛んに出されている中で、
救われたくない自由を認めろだとか?勝ち組の勉強をすることがいいことなのかもしれません。
ただ、小生はこう思うのです。
小さくなるパイを取り合う世の中で、自己責任のまま再配分を考えなければ、
貪欲でなければ生きる資格がなくなるのではないだろうかと思います。
今の世は光あるところには貪欲の陰がつきまといます。
「貪欲」が否定されるどころか権利となっているように感じます。
貪欲にあらざれば人の生活が保てないのです。
人より貪欲に上を目指し、人より貪欲に収入を求め、人より貪欲に権力に固執しなければなりません。
平凡に普通に毎日が送れる安定した日々が必要で、
絶えずドラマティックで刺激的で起伏の激しい日常を
望んでいるなどとはハリウッド映画の見過ぎではないでしょうか?
安心して暮らせることとドラマティックなことは相反することです。
過去と未来から切り離した革新的発想は歴史的に見ても日本人に馴染み深いようです。
実際には、環境の激変についていけず、結果的に自殺したり、鬱になる方がよほど多いのではないかと感じます。
勝ち組の人から見れば、何でそれくらいのことが気になるの?程度であることは言うまでもありません。
しかし、そのような環境の変化についていく能力は人それぞれに違うものです。
一般的には環境の変化についていけず落後していく方が多いことは自殺者や鬱病患者の急増に明らかだと思います。
世界第2位の経済大国であり、科学技術立国と言いながら労働時間は際限なく長くなり、
非常勤や派遣労働者に頼らなければ企業が成り立たないなど矛盾だらけだとも感じます。
少子化と言いながら、共働き家庭向けの支援策ばかりで専業主婦を特権といって罵倒する。
女性労働者の権利を謳いながら、女性労働者の鬱病患者が急増している。
女性も働かなければ生きていけない世の中を作っている矛盾。
DV(ドメスティックバイオレンス)対策がなされても狭窄化したDVが一向に減らない現実。
科学の発展で労働生産性が向上しつつもなぜか悪化の一途を辿る労働環境と収入と余裕。
多様性が失われ、競争しなければ生きていけなくなった世の中を見て、
本来、科学や技術とは人に優しいものだったはずではとも思い、政治も人に優しいはずではと愚考するのです。
そういった社会で、いくら勝ち組を気取ったとして意味なきと感じ、
ホームレス急増や自殺のニュースを目にする度に「犠牲」を欲する世であることを実感するのです。
犠牲者が多ければ多いほど、縮小均衡を望む世相。
世の矛盾を目の当たりにし、静かに祈ることしか出来ません。
なぜなら、社会人の圧倒的多数が不思議にも論理的に正しいからと「勝ち組」を望んでいるのです。
少数の勝ち組が主導権を握り続ける限り、彼らは雄弁にそして論理的に語りかけるのです。
「勝ち組になりなさい。」と・・・勝ち組それは弱者を翻弄する輩のことです。彼らは決して弱者の立場に立てないのです。