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(回答先: Re: 自殺って究極の自己否定ですね。 投稿者 piyopiyo 日時 2006 年 6 月 11 日 00:15:46)
自殺者から我々は何をメッセージとして受け取るのでしょうか?
経済苦の場合は明白ですね。
一生働いても借金が返せないと分かっていたらただただ金を返す為に生きている事になる。
これに耐えられないわけですね。
ここで1つ思うのはずっと返し続けている内に政治が変わってもう借金を返さなくてもよくなるかも知れないというような希望は一切持たないわけですね。
世の中を固定的に考えるのが自殺者の特徴ではないでしょうか?
あるいは自分には価値が無いと考え悪いのは自分だけであって世の中は何も間違っていないと考える傾向ですね。
ひょっとしたら自分がこうなったのは世の中のせいかも知れないとは思えない。
自己責任の思想とでもいうものに洗脳されていると思います。
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【piyopiyoさん】
個人的には、思うところいろいろとありますが、
例えばメッセージ性のある自殺とそうでない自殺に分けています。
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【ワヤクチャ】この分類は必要でしょうね。ただ、自殺者にはみんなで解決すべき事を自分一人で背負って決着を付けるという傾向があると思います。自己を完結させているのですね。それはカッコよくみえてしまうものですけど。周りの人間にとってはあまりに水臭く見える場合もあるのではないでしょうか?私の身近な所で自殺した人にも私は「何故もっと相談してくれなかったのか?私は相談するに値いする人間ではなかったのだな?」という冷え冷えしたものを感じました。死者に鞭打つ事はできません。自殺者から私が押されていたであろう烙印を私は一生背負い続けなければならないのです。その意味で自殺者は絶対的優位に立って私を見下ろしているのです。これは悔しい事です。私に機会を与えてくれなかったのです。その人は。あるいは機会を与えてくれていたが私はそれに応えようとしなかった。それでその人も「もういい。」となったのです。自殺は究極の自己否定であると同時に周囲の人間に対する絶対的否定でもあると思います。親しかった人間であればあるほど立ち直れないでしょう。
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【piyopiyoさん】
死という究極的な表現に何らかの目的を感じさせるか否かにあると思います。
単に自己否定とは思いたくはありません。
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【ワヤクチャ】自殺で何を表現しようと言うのでしょう。自分・周囲の人間・社会に対する絶望しか表現していない気がします。そんな表現を受けて我々は何を学べますか?この世にひどい事が色々とある事を我々はみんなよく知っているでしょう。自殺者は我々以上にこの世の本質を見抜いたのでしょうか?必ずしもそうではないでしょう。自殺者の頭の中で固定的に描かれた社会というものは往々にして現実そのものではないはずです。確かに人一倍つらい思いをしたから自殺したのでしょうが、つらく思うというのは多分に主観的な事です。弱い人間はちょっとした事でも大変つらく感じるでしょう。「自分はこうありたい。」という願望が強い人間であればあるほど現実の自分との落差に悩むでしょう。スターだった人が落ち目になって自殺した場合、私達は同情するでしょうか?そんな贅沢な悩みをむしろ笑うでしょう。あと、恋人に振られて自殺する人がいますね。ああいう自殺は正に最低ですね。「お前に振られたからもう生きてはいけない。」なんて表現で振った恋人に罪悪感を植えつけようとしているのですよ。相手を責めているワケです。結局自分が大事なだけでね。振られてもしょうがない人間だったって事ですよ。この人でなければいけないなんて事はないでしょう。他の人間もバカにしているのですよ。
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【piyopiyoさん】
時に自殺は魂の叫びを感じさせる重みがあります。
今の時代における統計学上の年3万人超という魂の中にそれがあるかは、後世明らかになると思います。
只、ないとは思いたくはなく、そうではないことを願っています。
いつの時代も後嗣を思わんが為の行為はないと思うのです。
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【ワヤクチャ】確かに魂の叫びはあるでしょう。死ぬほどなのですから。しかし、その叫びの中身はどんなものなのでしょう。私は生きて叫び続けている人の声にむしろ耳を傾けたいです。苦しい状況にいながら生き続け叫び続けている人にこそ学びたいと思います。自殺者は「オレが何故死んだのか、オマエラ分かるか?」と問いかけているのでしょうか?だったら生きている内に何故もっと訴えてくれなかったのか?って思います。自殺者に何か美学を感じる日本の文化がむしろ「甘えた自殺」を助長しているのではないでしょうか?「みんな、オレの事を分かってくれない。だったら死んでやる。」というような。自殺した者の事なんかみんな忘れるよって言う方がよほど自殺防止になるでしょう。但し、私は死にたいヤツは勝手に死んだらいいとは思っておりますが。冷たいようですが。そこまで甘えられて何とかしてやろうと思ってもズルズルとこちらまで泥沼に引きずり込まれる気がします。弱い精神というのはどうしようもない悪循環で死ぬしかない所まで突き進むと思います。これは又、思想文化上の問題であろうとは思いますが。
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【piyopiyoさん】
時代はいつも何らかの犠牲を求めます。それを自己否定と思うことだけは避けたいと思うのです。
あくまで、時代の犠牲であって自殺者の欠点ではないと思うからです。
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【ワヤクチャ】時代と自殺者の両方に問題があると思います。自殺の思想を蔓延させた社会の問題もあるでしょう。そして、そのような社会の洗脳に易々と引っかかってしまう人間は救いがたいものがあります。個人の責任というよりも「自殺に至る精神的な経緯」を分析する必要があると思います。