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<デスクメモ>
宗派対立と報復の応酬に、市民の声は「少なくとも以前の自動車爆弾は宗派で人を分けなかった」(バグダッド・バーニング)。爆弾の無差別殺りくをも上回る最悪な事態というのだ。自分の幼少時、泥沼化するベトナム戦争をなぜ世論で止められないのか不思議だった。無関心が平和の敵だといまは分かる。 (学)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060609/mng_____tokuho__000.shtml
自殺者3万人、ニート問題、格差拡大、国家財政破綻寸前、終わりなきデフレ経済、少子化問題・・・
イラクだけでなく世界第2位の経済大国ですら深刻な問題の直中にある。
暗中模索の中、なぜか自己責任の論調が見られる。
自己責任とはいわば放任。無関心と紙一重と考える。
今の世を生き抜くのは苦しいことだ。
何をやっても何をしなくても一度負の泥沼に入り込んだら出てくることは限りなく不可能に近い。
憎悪と不安がその傾向に拍車をかけようとしている。
個の社会の弊害が未だ弊害と認識されていないところに問題の根底があるように感じられる。
個の権利と全体の発展には論理的矛盾と無関心が大きく立ちはだかる。
なぜなら、個々人の行動と全体をどこで均衡化させるかなど不毛な議論だからだ。
大金持ちが祖国を見限って赴くままに外国を転々とする自由をどうやって規制できるだろう。
もっと身近な例では特売品を目的にスーパーをハシゴする主婦をどうやって規制できるだろう。
やがて、自治体ごとの格差が明らかになるにつれ、大金持ちや主婦のような行動を防ぐ手だてはあるのだろうか?
徐々に格差は拡大し、豊かなモノは豊かに貧しきモノは貧しくなることを誰が止められるのだろうか?
最近、都心では行き倒れのホームレスが少なくなった。
自転車通勤しているせいか、多い頃は月に二人は見かけたが、最近は内心ホッとしている自分がいる。
なぜなら、見ても何もしない自分がいるからだ。問題の深さを自認せざるを得ない。
そして、今は見なくなったその存在が今後増えるであろうこともわかっているし、
それに対し何の力も持たないことも自認する。
不安や憎悪の世界的極大化は今後も続いていくのだろう。