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(回答先: 真実の追求ですね。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 6 月 07 日 22:49:13)
確かと自信を持って言える確証を自分の中に生み、育みて臨み、逝くのみ
何も迷い無く、何も悩みも無い
それは既に自分ひとりを救うだけの考えに修まりがあるからだ
各々が確かなものを持たず、頭数集まってもどうにもならない
また人はどちらかに靡くだけの存在のままでは困るが、しかし・・・
・・・それを滑稽であると”感じること”には問題は無いけれども、
それを滑稽だと”認める”ことは出来ない
ひとつの夢を目標として、そこに一所懸命エネルギーを消費するのだから、
その消費した分のエネルギーは必ず世の中にとっていい影響を与えている
人は様々な生き方があると思うが、そうした事をひとつひとつ認めては
人を見る目もひとつひとつ確かなものになっていく筈だ
それが滑稽な物に映ったとしても、それもまたその人なりのよき答えなのだ
人はひとつの目標というものを持って専心して取り組み、
目の前のことをどんな小さなことでもこなし、
その積み重ねが自信と経験になり、
確かな力としていける
それは素晴らしいことだ
また目標を一段一段増やしてもいける
理想というものは果てなく大きく聳える
そこに向かってひとつひとつをこなし、やがて
「大きく前進していた」
その成果に後から気付くものでもある筈だ
先に確かなものを想い、それを追うというよりも、
「やがてそこに到達するのだ」、
という強い願いが人をつき動かすように思う
良くも悪くもそうなのだから
ならば初めに正しきものを
精神の中に
肉体の中に
心の中に
持つべきであるだろう