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(回答先: 死を見つめる事は希望を失う事ではないと思います。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 6 月 06 日 22:45:56)
「己というものは日々、完成形とよべるものだ」
その精神を生かすも殺すも自分次第
というところでしょうか
時間というものは人一人に対し有限のようであります
しかし実は焦れば焦るほどに
その時間に対する生命の速度
というものは増して行き
萎れていくのも早いのだと知ります
岩を割って生まれるあの小さな植物の芽に
一体どれほどの力があるというのでしょうかね
自然とは無意識であり
無意識とは自然であり
自然の力とは無意識の力です
そこに恐れなどなく欲等もありません
年老いて愚痴っぽくなるというのは
時間という物に囚われ始める為だと思います
人の生命の根源たるエネルギーの大きさはそのままに
有限なる時間をどのように生かすべきか
ということもまた
考える為に生まれた人間への課題といったところでしょうか
焦ってよい結果は生まれないように
ひとつのことに対して専心して
着々と前に進むことが大事なのだと思います
寝ている時は無意識でありますが
実は時間を有意義に使っている状態でもあります
夢に教わることもまた経験して知る驚くべき人の思考力です
留まる事を知らぬ力を止めるのはその人の意思です
死にきちんと向き合って見つめ、死に対する恐れというものから離れられれば、
死をより良い安堵をもって見つめ直すことも出来ます
そしてなお前に進むエネルギーはそのままに
物事に取り組むことが出来る
人だけです
死に対してこれだけのことを考えることが出来る生命は
してまた人が持つ恐れというものは死だけでは在りません
真実をゆがめようとする意識は死よりも恐ろしいものです
時を経て、真実が真実でなくなり、人々がそれに対して無知と化し、
歴史がそれで大きく方向性を誤り、いずれそれを糾す人も現れなくなる
そして罪の意識さえも薄れて無知を謳歌する時代が来る
死というものに向き合わず、その認識を歪めていることもまた
恐ろしい罪の意識を生み出すことになっているようなものです
haruさんという人は知ってか知らずか
我々にタイムリーな事象に対して深くそれらに対する認識を
紐解くように差し向けている感がありますが
例えば666という数字の意味は色々あったようですが
実際は616だったとか
なんの意味があるのかといえば
横暴極まりない恐怖政治の支配者を射す数字だったようです
そのことは今もなお方々で
なんの罪もない人が罪の意識を背負わされている
そういう事実があります
獣の血というのは人の中に脈々と受け継がれてしまいました
DNAにあるその記憶を呼び起こさぬよう
肉食は極力やめよという先人の教えでしたが
私たちはそうした過去生み出された人々が持つ恐れの意識を否定する為に
考える力を今に取り戻そうとしているのです
真実と呼べる答えを得る為には
皆が同じ方向性にひとつに収束しつつ
物事の答えを見つけていかなければならないでしょう
正しい答えというものは、誰をも苦しめないものでなければならないでしょう
真実を失って、もはや今の世に誰にも判らないというのであれば、
そうしたものを新たに生み出さなければならないでしょう
「判らないものを判ろうとすることは馬鹿らしい
判る筈もないこと判らないままでよし」
とするのは現在が真実性を失って久しいことの証です
それは仕方のないことです
しかしそれで今後も誰もが納得する世の中であるというのならば
これから生まれ出てくる者は真の神だけになるかそれとも・・・
学ぶべき正しい物が皆無となったこの地上に
学びに現れる者などきっといなくなることでしょう
だから答えを正しく生み出し続けなければならないのです