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(回答先: Re: 日本を良くするためには、意識の改革が必要である。 投稿者 piyopiyo 日時 2006 年 5 月 13 日 15:21:30)
piyopiyoさん お久しぶりです。
>【「お客様」は「神様」であって労働者や公務員、政治家を含めあらゆる立場の人はそれに奉仕しなければなりません。】
なんで労働者が入っているのかは、いささか疑問ですが、仮に抜いたとしても違っています。「お客様は神様」というのは、企業が「企業利益を向上させるために作り出した。誤った方便」だろうとKは思います。
ただし、あらゆる職業において、対価賃金報酬を貰っている勤務時間は「企業人」でもありますから、企業の命令は守る必要がありますし、公務員も「勤務時間内」は「国民への奉仕者」です。
ですから、公務員は「神様」ではなく、「困った人を手助けする」というのが本文です。
満足感を与えるのは「そのような企業」であり、公務員はライフラインのセーフティネットであるべきでしょう。
ただ、これは、Kの考え方ですから、違うという人もいるでしょう。しかし、piyopiyoさんの書き方ですと、「道を聞く困っている人」と「プライバシーを守って貰いたい人」は両方とも神様になってしまいます。その時点で論理破綻でしょう。
>【全ては「お客様」が決めることです。他の人が決めるからこんな世の中になったのです。全ては「お客様」のためにしなければならないのです。】
神様が国民と言うことならば、絶対者が大勢いるのですから、この理論は成立しません。
【他の人が決めるから】と言っても他の人なんて者が存在しない事になります。全ての国民は平等に神様であり、間接民主主義の多数決が神様ということならば、それによって選ばれた人が【他の人】なのでしょうから、【他の人】は神様の代表者であり、やっぱり論理破綻しているということになります。
>【「お客様」が潤えばそれでいいのです。なぜなら「お客様」は自分自身です。自分自身のために行うことは当然のことでしょう。】
【お客様】の定義が一人称なのか、一人称ではないのかによって、この意見は意味をなさないとKは思います。で、続く部分では「自分=お客様」になっています。これは自分自身に奉仕すると言う意味だと思いますが、これは、利己主義・自己中心志向になってしまいます。
>【民主主義は多数の意見を代弁しなければなりません。個々人にはいろいろな立場がありますが、「お客様」という立場は最大公約数であり、絶対多数です。それを否定するなら制度の変更を考えなければならないでしょう。民主主義は最大公約数によって政策が行われるからです。また、そうでなければ民主主義ではありません。】
今の民主主義はあきらかに不完全であり、制度として未完成です。
しかも、その制度を支えている構成員は、不完全で自己中心的な気まぐれな人間です。
【お客様】が最大公約数だとして、人は誰も「自分のプライバシーは保護してほしい」けど「他人のプライバシーは知りたい」のでしょう。
こんなもんは、意見の集約の仕方で「違う結果になるという種類の物」でしょう。どこにも絶対多数なんてありませんし、視点を変え、立脚点を少し変えただけで、賛成と反対がひっくり返るような代物でしょう。
piyopiyoさんのご意見は「現状の民主主義決定方法」が正しいという視野狭窄があるか、もしくは、論として成立していない。のだろうと考えています。
全ての人は、お客様(神様ではなく利用者)と、労働者(奉仕者ではなく、サービス提供者)の両面を持ち、同じ時間、同じ社会、同じ空間の「共有者」であるのだとKは考えます。
パチンコ屋が「出玉を絞りすぎれば、お客様が減り倒産して、遊び場が失われます。」
パチンコ屋で暇つぶしをする人は「パチンコ屋」の維持費を負担する必要があり、パチンコ屋さんは「お客様が継続的に利用してくれるくらいに遊んで貰えるように工夫する必要がある」でしょう。
このバランスが崩れ、どちらかが、強欲になれば、共有空間は破綻します。
そのような意味合いから判断したとき、piyopiyoさんのご意見に、どんな正当性と、意味があるのでしょう?