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私は、未だに愛というものに近づけない日々を送っておりますが、
愛とは、、と考えた時に
対極の言葉が、“恐れ”であると云うお答えをデラシネさんとの対話から
戴いております。
http://asyura2.com/0601/idletalk17/msg/689.html
“恐れ”という事から考えましたら、
平和を願う心こそが愛なのではないのか?
との結論を得ました。
次なるは、平和とは、なんぞや、、となってしまいそうですが、、、(汗)
東西の冷戦の脅威の喧伝により、
我々は、度重なる核実験、核ミサイルの増加を許してしまいました。
その結果、世界には15743発の核弾頭が存在していると云われています。
これは、まさしく恐れが招いた結果なのだと思います。
一方、我が日本国は、憲法九条の他に、非核三原則も持っております。
この日本は、戦後、占領下にありながら、愛にもとずく?
憲法、法律を持ちえたのでは、、?
と私は感じました。
今、中国、北朝鮮等の脅威から憲法改正への道のりが敷かれようとしておりますが、
果たして、この選択は、、?_
“恐れ”からなのでは、、、?と、私は思ったのです。
確かに、見近かな生活の中でも、危害を加えるものに対して
自衛を講じると云う手段は、否めませんし、
その為には、余程の運と強さを持たねば、
はね除けて生きる事は叶わないのかもしれません。
ただ、今までの歴史を知れば、戦争は利害から起こっておりますし、
その戦争の裏で、兵器の売り買いがあり、
利益を得るもの達が存在しています。
また、近代の戦争は、自衛の為という大義名分のもとに
必ず、起こっております。
我々庶民は、この事をよくよく肝に銘じて選択をしなければならないのだと
思います。
世界の平和を願う事、
漠然としておりますが、この事こそが愛なのでは、と私は感じました。
拙文、失礼いたしました。