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(回答先: 武蔵の出自ば教えていただけるそうで、楽しみだなす。 投稿者 竹中半兵衛 日時 2006 年 5 月 03 日 01:28:30)
宮本武蔵とは何者なのか?
http://www.st.rim.or.jp/~success/musashi_ye.html
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NHKの大河ドラマで、「宮本武蔵」がはじまった。初回をみた感想は、こんなものかなという感じだった。まあ可も無し不可もなし、というところだ。今回の武蔵には、歌舞伎界の時代を担う市川新之助が、ドングリ眼を目一杯に見開いて、文字通りの体当たり演技を見せているが、体から生命力とやる気のようなものは出ているが、武蔵の生涯に常に存在する狂気とか妖気のようなものが欠けている気がする。これは以前の萬屋錦之介の武蔵でもそうであったが、歴史的大天才特有の底知れない怖さが感じられない。
もしも私が武蔵を映像化するとすれば、13才の時の最初の決闘を外さないであろう。ここに武蔵という人物の異様なまでの怪物ぶりが凝縮していると思えるからだ。武蔵は、宮本無二斎という人物に育てられた。当時この養父は、一流の武芸者であったらしい。幼い頃、竹蔵と呼ばれていた武蔵は、この人物から剣術を習ったということであるが、はっきりとは資料がなくて分かっていない。ただ、13才で、初めての勝負に勝ったと五輪書には記されている。それはこの養父が、13才の折りに、有馬喜兵衛という剣豪に真剣勝負を挑まれ、どうもこの父が逃げたらしいということになっている。もちろん伝説だが、もっともらしい話ではある。
父が逃げたことが悔しくて仕方ない武蔵は、この人物の前に立ちはだかって、勝負を挑む。剣豪の有馬は、大笑いをする。当然だろう。小さな男が、木刀を持ち、目をむいてすごんだところで百戦錬磨の有馬に勝てる訳がない。はなから有馬は、この少年など眼中にはない。13才の武蔵は、「何を云う父の代わりに相手をする」と目をむく。小さな子供を相手にしたとあっては、後々の笑い者になると、有馬は相手をしない。武蔵は待ってましたとばかりに、手に持っていた砂粒を顔にかける。目を潰された有馬は、その場に伏せるような格好となる。そのタイミングを逃さずに、有馬の頭蓋骨目がけて木刀を振り下ろす。数度振り下ろすと、さすがの有馬も、ピクリとも動かなくなったのである。
ここに武蔵の生涯の神髄がある。多くの人は、佐々木小次郎との、巌流島の決闘のことを思い浮かべるかもしれないが、この生涯初の決闘こそ、武蔵という人物を分析するためのポイントがあるのだ。
宮本武蔵の生涯は、剣の道を奥の奥を極める為に生まれてきたという極めてストイックな人生である。この道の精神は、能の世阿弥や茶道の利休、あるいは俳諧の芭蕉などの人物の生涯に通じているといえる。
我々はどうしても吉川英治の宮本武蔵のイメージが余りにも強いので、どうしても青春ドラマ仕立ての武蔵の人物しか思いつかない。だから「お通」のような心の恋人を創作して、はらはらどきどきととして武蔵を甘い考えて見てしまうのである。それはとんでもない誤解だ。武蔵は、怪物である。極論をすれば、武蔵は、剣の道を突き詰めるためにのみこの世に使わされた天才なのだ。
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最初の剣豪有馬某との試合に、武蔵という人間のすべてあると私は云った。大体が、芸術家でも小説家でもそうだが、処女作の中に、本人が意識しようがしまいがは別にして、その人物の先々の人生を暗示する何ものかが、どこかに出ているものである。
武蔵の場合は、最初の試合である有馬某との勝負にどんなものが暗示されているであろうか。武蔵の剣であるが、どんなに彼のことを擁護しようが、吉岡道場との対決では旗印の幼気な子供(吉岡又七郎)を初めから狙ったり、小次郎との対決の時には、2時間以上も遅刻して登場するなど、極めて勝ちにこだわって、戦略的なのである。もっと極端に云えば、サバイバルの剣である。戦場でいかにして生き抜いて行くか。その中では卑怯もヘチマもない。勝てば良いのである。
つまり武蔵の剣は「どんなことをしても敵に打ち勝ち生き抜いていく」ということがあるように思える。しかしこの武蔵の本質は、武蔵という人物の境遇を凡人からすれば、「何でそこまで、平和な時代になったのに、剣にこだわり、勝ちにこだわるの?」ということになってしまう。武蔵にとっては、時代の変化も政治状況も関係ない。与えられた状況の中で、剣の道を究め、その道を歩いて行く者に挑みかかり、勝ち抜いてゆく、その一点に絞られて行く。時代遅れと言えば、時代遅れだ。島原の乱で、老いた武蔵が、養子の伊織と共に島原の反乱軍と戦ったそうだが、何故か悲しい。強い相手と戦っての武蔵であり、あらゆることに負けるはずのない鎮圧軍に加わるその心が悲しいのである。武蔵も何故こんなことをしなければと苦悩したと思うのだが、どうであろうか。養子の伊織の為の参戦だったかもしれない。
さて概して、日本の戦場では、互いに自らの氏素性を名乗り合って、戦を始めた。そこで突然斬りかかるようなことがあれば、卑怯と言われ、戦の作法を知らぬものと揶揄されてしまいかねない。ところがそんなことを根本から覆す武将が現れた。源義経である。一の谷において、鵯越と言われるように、わずか80騎ほどの手勢で、平家がいる一の谷の海岸に真っ逆さまに駆け下りたのである。それまで山を盾のようにして互角に戦っていた平家は一挙に蜘蛛の子を散らすようにして敗走し、残った手勢は瀬戸内の海を逃げて四国に渡ることになったのである。
この戦法は、奇襲であり、誰もが創造すらできないアイデアの勝利であった。義経の戦法も又いかにしたら、敵に打ち勝つことが出来るかという一点に絞った発想であり、武蔵の剣の道との共通点が伺える。吉岡一門との最後の死闘は、「一乗下がり松の決闘」として特に有名である。はっきり言えば、これは一対数百人の対決であり、まともに戦っていれば、間違いなく負けてしまうのである。数々のワナが仕掛けられ、武蔵の生命を奪ってしまうことに執着していた。武蔵を倒さなければ吉岡一門は潰れてしまう。本気でそう思っていたのである。そこで武蔵はまったく別のことを考えた。地形と状況を見越しての、奇策である。どうしたら旗印となっている少年の命を奪って、逃げおおせるか、そこに全神経が集中された。
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この時、武蔵は若干21歳であった。しかしそんちょそこらに居る21歳の若者と同じように考えたらとんでもないことになる。既に武蔵は、禅の言葉で言えば、悟りに似たレベルの心理状況に達していた。だから何でもかんでも悩み、それを一々沢庵和尚のような人物の助けで、人間的にも徐々に成長するなどという吉川英治の常識的な武蔵像を私はとうてい受け入れることはできないのである。本物の天才とは、世の人の常識などとは無縁なのである。
さて武蔵は、決闘の場所である地形を、前もって調べ尽くし、どのように敵を打ち負かし、なりふり構わず襲ってくるであろう吉岡一門の姿を思い描いた。武蔵は、19歳の時に、関ヶ原で西軍として参加し、落ち武者として敗走しながら、九死に一生を得る経験をしている。どのようにして襲ってくる多数の敵を振り払い逃亡するかということには、絶対とは言わずとも、かなりの自信があったと考えられる。
ここで、何故これほど、吉岡一門が、武蔵を倒そうとしたのか、その理由をはっきりしておかなければならない。一乗寺下り松の決闘は、武蔵と吉岡家の三度目の対決である。
京に出てきたばかりの田舎剣士の武蔵が、吉岡一門に狙いを絞ったのには理由がある。その頃、吉岡家は、足利将軍家の兵法師範の家であり、日本一の兵術者との評価が定まっていた。門弟も数百名を数えている。きっと武蔵は、この吉岡一門を己の剣法をもって打ち破ることをもって、日本一の兵法者であることを天下に認めさせたかったのではないだろうか。無謀と言えば無謀だが、若さというものは、武蔵に限らず、世の常識を越える仕事をする者にとっては、大切な要素である。
武蔵は、吉岡の頭領である吉岡清十郎に果たし状を出す。そして最後に「返答は、三条大橋の袂に高札にてお願いする」と書いた。どのように考えて見ても、名門の吉岡家にとっては、何のメリットもない果たし合いだ。勝って当たり前負けたら、それこそ家門に傷が付いてしまう。内部では侃々諤々(かんがんがくがく)の論争があったに違いない。
「いったいその武蔵とは何者なのか?」
「そんな素浪人の無名の者と先生が戦う必要なんかない」
「門弟の私が相手をしてくれよう?」
そしてまもなく高札が立った。
「蓮台野 三月八日 辰の刻(午前8時)」
その日、武蔵は、約束の刻限にわざと遅れて行った。勝負は一撃でという約束でなされたが、吉岡清十郎は、武蔵の木刀で一撃され、一端息が絶えたが、蘇生したものの、二度と険が握れない体になった。続いてその弟の伝七郎との対決が、三十三間堂であり、武蔵の向こうを張って、五尺(150cm)を越える長い木刀を持って戦った伝七郎だったが、武蔵にこの木刀を奪われて、一撃で殺されてしまった。
こうなると、大変なのは名門吉岡一門である。何しろ、どこの馬の骨とも分からないような若くて無名の兵法者によって存立の危機を迎えることとなったのだ。そこで逆に武蔵に果たし状が届く。
「場所は一乗寺下り松 明払暁(夜明け時)時刻厳守」
ひどく高飛車でせっぱ詰まった内容だ。清十郎の跡継ぎの又七郎が、名目人である。明払暁(夜明け時)という所に、策略があるように見える。誰も見物人など来ない時にどんな手段を使って武蔵を葬り去ろうということか。武蔵は一門の存亡を賭けたものであることを直感した。しかしここで逃げる訳にはいかない。やるしかない。勝しかないので。この時、すでに武蔵には、京都で武蔵の剣に憧れた者を弟子としていたようだ。そこで弟子たちに武蔵は言い放った。
「汝ら、速やかに退け、たとえ怨敵群れをなして隊を作るとも、吾においては、これを視ること浮き雲の如し(お前たちは、すぐに逃げろ。たとえ吉岡一門が群れをなして掛かって来ようが、私にとっては、浮き雲をさばくようなものに過ぎない)」
この時の、武蔵の心境は、大変なものであったに違いない。何しろ相手は、武蔵を仇として、またこれを打ち破らなかったならば、家そのものがたち行かなくなる。「窮鼠猫を噛む」という言葉もある。吉岡一門も武蔵を果たし合いという合法によって殺害しようとしている。
その夜、武蔵は、下り松の裏に潜んで、じっと薄明を待った。既に戦いのプランは頭に入っている。心静かに、一乗寺に来る途中のことを思った。途中に八幡宮があり、思わずこの神前に立って、今回の勝利を祈願しようとした。一瞬の躊躇があり、武蔵は考えた。
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「私は、これまで神仏を心のそこから拝んで尊んで来た者ではない。そんな自分が、今になって神頼みをした所で、神仏が私を守ってくれることがあろうか。神仏は尊い。だけれども、今、神仏に頼むべきではない」
結局、武蔵は、一礼をしただけで、八幡宮を通り過ぎた。それから闇の中で頭のなかは冴え渡っていた。父無二との厳しい稽古のこと、落武者となって、闇の中にうごめく落ち武者狩りの夜盗たちの群れに追われながら、逃げて逃げて、くたくたになったこと。すべては幻のようにも思えた。しかし武蔵の中では、自分はやれる。負けない。どんなに敵が多くても、あの落武者として逃げた時の感覚を思い出せば勝てると考えた。丁度あの晩は、濃い霧が出ていた。霧が出た闇の中を狼のようにして夜盗どもは襲ってきた。それを武蔵は、自然に二刀を持って、感覚で払いなぎ倒して行った。その時、流れる雲を切る感覚を得た。うごめく夜盗は、朧にしか見えないけれども、感覚で空を切るのである。すると武蔵は、夜盗の存在に独特の気を感じるようになった。霧の流れの中で、人の動きが分かるようになったのである。
そして、吉岡との三回目の決闘も夜明けの内に始まる。もしも太陽の下であれば、武蔵の体も容易に見えるであろうし、遠くから多くの弓で狙われれば、危なかった。しかし吉岡一門は、多勢でひとりの兵法者を倒すという卑怯を隠す為にも、薄暗がりの決闘を自らで選んだのである。まさに武蔵畏るべし。武蔵は、遅刻の常習者であり、相手をいらいらさせてこれを倒す。しかし今度は、夜明けを待つのではなく、相手が見えない時に、こちらから仕掛けて、すべての勝負を闇の中で決着しようと計算をしていた。下り松の背後で、じっとしていると、がやがやと松明を掲げながら、吉岡一門がやってきた。どうせ武蔵は、また遅く来るに違いないとハナから思っている。でももう武蔵は、彼らの動きを感じながらじっと待っている。敵がどこに陣を取り、名目人の又七郎が腰を下ろすか、やがて陣は決まり、松明が消される。吉岡一門は、じっと夜が明けるのを待っている。どうせ武蔵は遅く来る。朝日が登ってからが勝負になる。そう踏んでいた。しかし武蔵は違う。松明が消え。目が暗闇に慣れない一瞬を狙った。
燈明が消えた瞬間、武蔵は、素早く、又七郎の正面に走り、武蔵見参と一言云って、一刀の元に切って捨てた。しかし周囲では何が起こったのか、分からない。要はまだ目が暗闇に慣れていないのだ。武蔵は、松明を付けて追ってくる敵に弓を放たれたが、容易にこれを交わした。もう武蔵にはすべてが見えている。そこで声がした。「又七郎殿が、討たれた。武蔵を逃がすな。生かしてここを出してはならぬ。」一門の者に動揺が走った。まさか、こんなに早く武蔵がやって来ているとは、まさに計算された奇襲であった。もはや勝負は、明らかだった。武蔵は、寄せ来る敵を数人切ったが、後は武蔵に気後れしてしまい誰も本気で武蔵に組み付き勝負をしようなどというものはいなかった。放たれた弓も結局、武蔵の脇の袖をかすった程度であった。こうして武蔵は、完膚無きまでの勝利を得てしまったのである。
その後、すぐに武蔵は、「兵道鏡」という兵法書を書く。「心持の事」から始まるこの書は、晩年の五輪書とは、内容的にはかなり違うが、若いながらも、自らの剣の道を確立し、一流派を興すという並々ならぬ決意を持って書かれたものである。その中には、「多い敵位の事」という多くの敵と戦う時の実践的な方法なども記載されている。またこの書の中で幾度も出てくる言葉に「転変肝要也」という言葉がある。この言葉は、「言ったことを。その時その時の状況の変化に合わせて柔軟に考えろ」と云っているのである。つまりこれは、普通の人間に、感覚を持った人間が教える時の常套句であるが、言葉として捉えるな、柔軟に考えろ。実践と稽古を通して感覚で掴め、と繰り返し云っているのである。でもどのように考えても、武蔵の感覚を理解する人間は、そうはいまい。つづく
佐藤