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まあ、詰まらねえ喩えだが、一神教ってのは自我に目覚めた成長期の子供に必要な目標や支えと同じようなもんじゃねえのかなあ。哀れな肉体に宿る孤独な自己に目覚めた人類に、成長のための支えを提供してきたんじゃねえかってことだ。ユダヤ教に始まりキリスト教・イスラム教と一神教自体も成長しながらヨーロッパの近代的自我に辿りついたわけだ。近代的自我ってのは最後の一神教、つまり一神教を乗り越える為の一神教じゃねえのかなあ。
成長期が成長期である為にぁ何時かは終わりが必要だ。終わりの無い成長ってのは成長とは言えねえからな。つまり成人の時がやって来るわけだ。哀れで孤独だった子供達が独り立ちして大人になるんだ。純で一途な子供がふてぶてしい大人にな。
この阿修羅にも純で一途な連中が沢山いるが、まあそれはそれで良いとして、時代が人類の成人を要求してるとすりゃあんまりノンビリもしてられねえよなあ。