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(回答先: 軍人ばかVS環境ばかは、ウヨ対サヨの構図。 投稿者 姫 日時 2006 年 4 月 23 日 15:58:11)
>姫さん どうもです。
一応書いておきますが、Kの核武装論は姫さんが想像しているのとは少し違う種類だろうと思っています。
「どこかが、攻めてきたら、どうするのだ?」というのが、右派の常套的な意見です。
これにまともに相手をすると「軍備増強」か「核武装」に行き着きます。
Kに言わせれば、世界から孤立し、経済制裁のリスクを背負ってまで「日本を武力侵略しようなどという国はない」とも考えていますが、まあ、不安のある人は不安でしょう。
「核武装をする(または、している)」と宣言しただけで良いのです。
説得力に欠けると言うことでしたら、ロシアから「廃棄された核を買ってきても良い」のですが、飛ぼうと飛ぶまいと、張り子でも何でも良いのです。
抑止力が生まれ、日本に対して、疑心暗鬼でも良いので、「攻めたりしたらヤバイ」と思ってくれれば言い訳です。
核には絶対反対という意見があります。Kだって核に頼らなくても平和ならそれで良いと思いますが、今現在、核を持っている国は存在します。
ならば、抑止力という意味で「核を利用する」という考え方を、最初から放棄するというのは一種の思考停止です。実際に相手に突きつけて脅すという方法論ではなく、核という言葉の平和利用も考え方の一つです。
Kは原発に反対するなら、電気を使用しないで暮らしを提唱し、実践するか、もしくは国会議事堂の横にでも建設しろという運動に切り替えるべきという意見も持っていますが、「核は絶対悪なので、ともかく反対」というのが、現実的だとは思ってはいません。
現実の中で「リスク」と「損得」と「理想」のバランスを取る方法というのを考えています。これは、詭弁かもしれませんが、戦争は避けねばなりませんし、核の使用はされるのもするのも絶対に避けなければなりません。
軍備縮小をするのなら、どこかに攻められるという論理にも配意する必要があります。
結果的には「核を持っているというポーズだけで治まるなら、それが一番金もかからず、軍備も削減できるし、自分を加害者にもしない」という事になります。
間違っていますか?まあ、実現するかは非常に絶望的である事は確かです。